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三者面談

 卒業を祝う会というのがあった。
わたしがまだ高校の教師をしているころである。

 となりに座ったのは
三年間、担任をした子の親である。

 その母親がしきりにわたしの耳元で
「イナゴが、イナゴが」と言うのだ。

 「はい?」わたしが聞きなおすと、
「イナゴが頭から離れないんです」

 「イナゴですか」

 「はい、先生が入学式におっしゃったことが」

 「あ、あれですか」

 たしかに、わたしは、三年前の入学式に
53名の保護者のまえでもうしあげたことである。


「大学受験はむつかしくて、
帝京大学に120名が推薦入試を受けて、
受かったのは2名でした。
それって、イナゴの大群が
海にむかって飛んでゆくようなものです。
ほとんど帰ってこない」

こんなことをもうしあげたはずであるが、
その母親はそれを三年間ずっと
胸内にしまいこんでいたのである。

 言葉とはおそろしい。


 担任をしていると、
じつにかわった親にあうものだ。


 男子生徒であったが、どんな悪いことをしたのか、
親を呼び出したことがある。

 べつにわたしは親を叱りつけるつもりもなく、
これから先のご相談、というようなことを
話すつもりでいたのだが、
その母親は頭をたれながら、
「なにが悪いんですかねぇ、先祖が悪いんですかね」
と、言い出した。

よりによって「先祖」なんか持ち出すものだから、
ご先祖様だって、ゆっくり休んでいらないだろう。

へたすれば、墓場から起き出してくるよな。


 夏の面談。
むかしは、クーラーなんてなかったものだから、
それは蒸し暑い部屋で扇風機まわしながら
一日に、10人くらいの三者面談を組んだ。

 とにかく、朝から夕方まで、
こちらはひとりなので、終わるころはぐったりした。

当時は、三軒に一軒くらいのわりあいで、
ビール券とか、家で捕れた野菜などを
もってきてもらうのが常だったのだが、
桜井君(仮称)との面談のときに、
やはり、桜井君の母親が、
ごそごそと、茶色の紙袋をだし、
「せんせい、遅くなりまして」
と、わたしの前に差し出した。

「いえ、そんなご心配はけっこうです」
と、お決まりの社交辞令でお断りし、
両手で、その紙包みをお返ししようと
その紙袋のなかを覗いたら、
それはビール券でも、高級なお菓子でもなく、
雑巾であった。

そういえば、春のはじめに各家庭から
雑巾三枚を教室に寄付するように
お願いしていたのだが、
「遅くなりまして」は、その「遅くなりまして」だったのである。

わたしは、雑巾三枚を遠慮してしまったのだ。


ぎゃくにわたしのところに
娘の学校の先生から電話が来たときの話。
つまり、娘の親としての会話である。

夜の10時過ぎ。

「ユイちゃんが、わたしのことババァって言ったんです」

突然、先生はそう語りだした。
わたしは、もちろん、
その先生をぞんじあげるわけではない。

「あ、それはすみません。で、いま先生はどちらからおかけですか」

「自宅からです」

 自宅から、わざわざ拙宅まで
電話をかけてこられたというのだから、
さぞやご立腹なのだろう。

 「それは、すみませんでした。どういうときに」

「はい、四五人で廊下を歩いていたとき
わたしが、ユイちゃんを注意すると、
廊下を曲がったところで、
ババァって言ったんです」

 「は、それは、たいへん失礼しました。
しかし、先生は姿の見えないところなのに、
よくうちの娘の発言だとおわかりでしたね」
と、わたしがもうしあげたら、
先生は「ハッ」と言って、そのあとはなにも
おっしゃらず電話を切ったのである。

 じぶんの判断に、ややぶれが生じたのかもしれない。

と、奇しくもそんなところに長女が帰ってきたのだ。

「おい、お前、柳沢先生に今日、ババァって言ったか?」

と、言下に娘は「うん、言ったよ」

 なんだ、やっぱりうちの娘だったのか。


 これは、まったくべつの学校の話なのだが、
日吉にある高校に、篠山君が入学することがきまった。
さて、担任はだれがするかで
その学校では話題がもちきりだったという。

 べつに篠山君にはだれも興味がないのだが、
いつかはあるだろう、三者面談がたのしみなのである。

 なにしろ、母親が、南沙織なのだから