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葬儀あれこれ

 義父が亡くなって20年ちかく経つが、
その地、その地で、葬式の流儀があって、
お通夜の晩、
「じゃ、ここで一晩お願いね、わたしは、
子どもたちがいるから、帰るわ」
と、義母と実の娘たる妻は子どもたちを連れて、
家に帰ってしまい、
けっきょく、わたしは、義父とともに、あと数人の知らない方と、
葬儀場で一晩あかすことになった。

 徳島のお通夜は、もじどおり、「通夜」であり、
夜通し死者の魂を鎮めなければならないのであった。

 そんなことを聞かされもしなかったし、
寝耳に水というか、いささか被害者的なきもちで、
わたしは義父と、だれかしらない親戚のひとと、
一晩を過ごすことになった。

 世の中には、犬などを捨てるひとがいるが、
きっと、その犬もこういう気持ちになったんだろう。

 だから、線香は蚊取り線香のように、
ぐるぐる巻かれたもので、なかなか
火が消えないようになっている。

 となりの部屋には布団が敷かれていて、
すきなときに寝ていいからと、
親戚らしい方に言われたが、
ひとり、そんなところで、いびきかきながら
寝るわけにもゆかず、
けっきょく、わたしは「通夜」したのである。


 家族の絆というものはそんなものかと、
つくづくおもったが、朝、はやく、妻は、
母と子どもを連れて会場にやってきた。

 義父は、律儀なひとで、亡くなる前から、
段取りだけは、ご自身で決めていて、
わたしが、葬送のあいさつ係であった。

 徳島の葬式は、お通夜にはだれひとり
弔問客が来ずに、告別式の日にみなさん
お集まりになる。

 だから、翌日の告別式には町のたくさんの方が
集まり、会場はひとでいっぱいになった。


 わたしが、マイクの前に立ち、
最後のお別れの挨拶をしようとしたところ、
会場の係りの女性が、おちょこを渡してお神酒をつぐのである。

 これが、徳島の流儀らしい。

 身を清めるためのか、わからないが。

 わたしはマイクの前で、一口、お神酒を飲むと、
その係の方はとなりで義父の写真を抱えている妻の前で、
「あ、奥さんはええやろな」と言って、
素通りしていった。

 写真を両手で抱えていて、
酒が飲めないからだろう。

 それを理解していない妻は、わたしにむかって、
「ね。なんで、わたしにくれないの?」
と、小声で言ったから、
わたしは、すぐに、
「お前に飲ませると、酒乱になるからだよ」
と、言ってやったら、
こともあろうに、弔問客の前で、父の写真を揺らせながら、
笑いだしたのである。

 たしかに、緊張してるときこそ、
何気ないひとことに、笑ってしまうこともあるが、
あのときはおどろいた。


 わたしの祖父は、東京日日新聞の政治記者で、
原内閣をおいかけていた。
 96歳で亡くなった。

 「今年は、わたしの8回目の年男です」
という年賀状が最後の年賀状だった。

 三鷹、禅林寺というおおきなお寺での葬儀だった。
長男も会社の社長だったせいもあり、
これも盛大な葬儀だった。

 わたしどもは、弔問客の前でいちいち頭をさげ、
その長蛇の列を見ていたのだが、
となりに座っている妻にむかって、
よせばいいのに、わたしは
こんなことを言ってましった。

「おい、たくさんお客さん来ているけれどさ、
友だちはだれも来ないよな。
だって、みんな死んでんもんな」と。


 そうしたら、妻は小刻みに笑いだしたのだ。


 不謹慎ではあるが、
こういう空気のときこそ、
むしろ、こらえることができないのである。


 わたしの働いていた職場で、
理事長が亡くなったとき、学校葬が鶴見の大学であった。

 高校と大学とつながっている学校だったから、
高校の教員と大学の職員と、
受付が用意され、わたしは高校の教員として受付に立った。

 と、対面に立っている職員のひとりが、
四角い顔で眉毛も目も細く釣りあがっていて、
やけに目立つのである。

 わたしが、となりの先生にむかって、
「ね、見てみ、写楽がいるぜ」って言ったら、
かれは、前方の、四角い顔の目と眉のつりあがった人を見て、
おもわず笑いだしたのだ。

 で、また、となりの先生に「おい、写楽だって」って
言ったら、またとなりの先生が笑いだしたのだ。

 これが伝言ゲームのようになって
わたしどもの受付は、笑いを半殺しにした
罰ゲームのようになってしまい、
そのうちのひとりは、白黒の幕の裏で笑いだしたものも
いた始末。

 どうも、こういう緊張をともなう場は、
笑うという身体運用とぎゃくにむすびつくものなのである。


 そういえば、わたしども教員は、
そのご家族の葬儀にはかならず出向いたものだが、
遺影をみてはじめてその方を知ることもある。


 そういう葬儀では、もうしわけないが、
悲しみは皆無である。

 で、することといえば、簡単な焼香のあと、
テントの中での精進落としくらいである。

 飲み物も豊富だし、煮物とか寿司とか、
食べ放題、飲めや食えや、で、けっきょく、
だれかが言い出す。

「じゃ、もう一軒、行きますか」

「ああ、行きましょう、行きましょう」
と、みな次の店にゆくのである。

 しかし、「もう一軒」と、通夜の会場が
一軒目に数えられているのが、
どうかとおもうのであったのだが。