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時代

 「時間」とか「時代」とか、
こういうわけのわからないものを
盾にして語られると、聞いているほうは、
ああそうですか、としか言いようがなくなる。

 髪の毛を金髪にした男子学生がいたが、
母親には「今しか、できないから」と、言う。

「今」、この言葉に、世の母親は
すこぶる寛容にできている。

 ふざけるな、とかゴツンと頭叩いて、
説教するなんて親はさいきんみない。


 ほんとうに「今しかできない」のだろうか。

 明日にもできそうだし、来年もできそうである。
ひょっとすると、成人したって、金髪にしたければ
すればいい。
世間からどう見られようと、自己責任である。

 「今しかできない」という説得性は、
もっとも消極的な生き方と同時に
ずる賢い逃れ道なのじゃないかと、わたしはおもう。


 ようするに、未来を先取りはしていない、
ということとおんなじである。

 「せんせい、そんな言い方したら、
ぜったいに落ちますよ」

 わたしが、面接のノウハウについて、
授業で言うと、こういう答えがかえってくる。

 じっさい、日本人は、みずからのことを
みずからで語ることを、禁忌のように封じていた。

 出る杭は打たれる、というやつだ。

 それが、どうしたことか、さいきんは、
自己推薦とか、自己アピールとか、
農耕民族のもっとも苦手な分野が、
大手を振っているわけだ。

 だから、わたしは自己アピールできません、
そういえば、なんて生徒さんに言うと、

「せんせい、そんなこと言ったら、
ぜったい落ちますよ」と、

苦笑いしながらいうのである。

だから、わたしは訊くのだ。

「あなたさ、なんで落ちることはわかっていて、
受かることはわからないわけ」


 つまり、合否のことは、生徒さんには
まったくわからないのである。
ただ、消極的な答えを出すことだけは、
安易にできる、という仕組みだろう。


 今しかできない、ぜったい落ちる、
こういう、後ろ向きなものの見方が、
どうも、世の常のようである。


 とある小学校の前PTA会長は、
かなしいほど情けなかった。

 いまの時代がこうだから、仕事はどんどん減らしましょう。
たいへんな仕事、ならやめましょう。
なんなら、PTAをなくしてもいいんです。
顧問制度、いりませんね。

すべて、時代を統合軸にして、
やりたくないものは、すべてなくしてゆく、
という政策であった。


 入学式のときくらい、役員さんが
校門でお出迎えしてもいいのではいかと、
わたしが、ご進言申し上げたら、
烈火のごとく怒り出すしまつ。

手に負えない。

 そのときも、そういう時代じゃないんだの
一点張りであった。


 仕事には三通りある、と語るのは
内田樹先生である。

 「私の仕事」と「あなたの仕事」と「誰の仕事でもない仕事」である。

そして、この「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」
という考えをする人のことを「働くモチベーション」があると呼ぶ。

 氏はそう語る。(「おせっかいの人の孤独」から)

 つまり、床に落ちているゴミは、
「誰の仕事でもない仕事」なのだが、それを拾う、
これこそが働くモチベーションの原動力なのである。


 PTAの活動など、まさに「誰の仕事でもない仕事」なのだが、
それを「わたしの仕事」とおもえるひとが、
役員になるにふさわしい。

 なんでもかんでも、「あなたの仕事」にしてしまったら、
PTA活動など、幻想のようなものだから、
みんの承認や同意がなければ、あっというまに
消失してしまうのである。

PTAという活動の舞台は、

なにができないか、ではなく、

その狭隘な空間のなかでなにができるか、

を問う場なのである。


 そんなことも、わからずに、
すべてやめてしまいましょう、の掛け声に、
パチパチと、手を叩き、
なんてスマートな決断なのでしょうと、
目をうるませている役員さんもいたかもしれないが、
すこし、目をひらいて、ちゃんと中身を見なさいよ。


 そもそも、「時代」とか「今」とかを
ふりかざしているひとに、公平性とか、公共性とか、
道徳律とか、そんなものが欠落しているんじゃないかと、
逆説的になるけれども、「世の中、わかってないんじゃないの」
と、言いたくなるのだ。


 そんなに、時代にくわしいなら、
どんな株買えばいいか、教えておくれよ。