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 「こはる」は、わたしになつかない。

娘がたいそうな手術をしたものだから、
その養生もあって、里帰りしている。

 ということは、その付随として「こはる」も
里帰りしている。

 わたしが三階にあがって「こはる」と目が合うと、
というより、わたしが三階にいくと、
「こはる」は、わたしのほうを見つめるのである。

 そして、数秒で泣く。


 なにか邪悪なものを見つけたように。


 あれ、おかしいね、いままで笑っていたのに。

 なんて娘はいう。

 「あれ、おかしいね」には
「お前が来たから泣いたんだぞ、
いままでの平和を乱しやがって」
という意味合いをじゅうにぶんに含んでいる。


 むかしから、子どもには嫌われていた。
娘、ふたりも父を憎んでいるかもしれない。

 
 しかし、むかしから、そういうことには
慣れているので、それでつらいとおもうことはない。


 久しぶりに三階にあがってみた。


 と、妻が「こはる」を抱っこしてあやしている。
ナナコはいない。

 「どうした?」

 「ん。美容院。朝から行ったらかもうすぐ帰るでしょ」

 実家は、すこぶる便利な空間だ。

子どもを置いても、心からのベビーシッターが
控えているからだ。

 そんなところに電話がなる。


 ナナコの母が電話にでると、どうも娘かららしい。

 「お母さんね、まだ、溝の口だって」
と、きょとんとして抱っこのままの「こはる」に
語りかける。わかりっこないのに。


「ね。重くなったよ。抱いてみる」

「やだよ。どーせ、泣き出すんだから」

「わかんないよ、ほら」
と、わたしに「こはる」を預けるのだ。

ソファのてっぺんでは、日当たり良く、
スコティシュホールドの「ミルキー」が
目を細めて寝ている。


 わたしは、そのとなりのソファに座って
いたのだが、妻は「こはる」の胸のあたりをもって、
わたしに譲渡した。


 「こはる」を背中向きに抱いた。
たしかに、ずっしりとする。


 つまり、「こはる」は、わたしとは顔をあわさずに、
わたしをソファのようにして座っている。


 おとなしい。それに重い。

 「こはる」はわたしに抱かれながら、
しずかにテレビを見ているようだ。


 その前を妻が横切ったり、
ミヤネ屋がしきりになにかを言っていたり、
まったりとした空間と、時間が流れていった。


 孫とは、こういうものか、とおもった。


 と、「こはる」がなにを勘づいたのか、
首をぐうっと上にして、
のけぞるようにわたしのほうを見たのだ。


 つまり、荒川静香の得意技のような格好に
「こはる」はなっているのである。


「こはる」がそうするものだから、
しかたなく、わたしは、見下ろすように「こはる」を見る。


 祖父と孫のご対面である。

 わたしは上から、孫は下から。


 もちろん、このあと、
まもなく「こはる」は泣き出すのであった。