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だめな上司の三拍子。

 

上向き、内向き、後ろ向き。

 

 

 出世のことしか頭になく、部下よりも、

兵隊さんの位の高いひとばかりに目が向く。

 

 外交的でなく、内側を向いている。

 

 そして、未来を語るのではなく、

いままでの失敗した足跡などをぐずぐすいう。

 

 

 これがだめな上司の三拍子である。

 

 

 人事考課。

 

 公立学校が採用した制度で、

もう十数年が経つのではないだろうか。

 

 

 学校長が、所属の教員を採点する、

というシステムである。

 

 

 つまり、学校長の権威づけを担保する制度、

ということである。

 

 

 公立学校の教師は、おのず、

点数に還元され、それが能力として

前景化されるわけだから、

校長の前では、いい顔をするようになる。

 

 

 もちろん、それによって、

ぐうたらな教師が、ピシッとなって

奮起するものもいるだろう。

 

 

 クラス通信の回数も格段にふえる。

 

 しかし、「いじめ」は、隠密裏に処理され、

なにごともなかった、安穏なクラス経営であるように

みせかける教師もでてくるわけだ。

 

 

 つまり、教師は生徒・児童をみつめるより、

学校長のご機嫌をうかがうようになるばあいもある。

 

 

 それがはたして、教育上、すぐれていいことなのか、

わからない。

 

 いわゆる上向きである。

 

 メバルという魚は、海底近くで斜め上をむきながら

泳いでいる。上からおちてくる餌を

捕獲するためである。

 

 上向き教師ってメバルみたいじゃないか。

 

 

  そもそも、いまの学校教育は、

一元化のもとにすすめられている。

 

 

 どの生徒にも、マニュアルどおり、

ささやかな怪我をしても、保護者が呼ばれ、

病院に行くように指示される。

 

 

 ジャイアンのかすり傷と

のび太の骨折では、程度もちがうし、

人物もずいぶんちがうが、

どちらも、おんなじように扱うのである。

 

 

 それが、悪いともうしているのではない。

 

が、個別対応ということも

ある程度は踏まえていただくのが、

保護者としての本音ではないだろうか。

 

 

むかしは、子どもと老人は特別視されていた。

 

「七歳までは神のうち」と子どもは呼ばれ、

老人も神性を付与されていた時代があったのだ。

 

が、いまは、一元的社会のものの見方では、

平板な地平のうえに、どちらも「役立たず」と

見られようになった。

 

 

 一人ひとりの個性を伸ばし、など、

教育目標にかかげておきながら、

学校という空間は、すべての生徒・児童を

八百屋の商品のように、統一的に据え置こうと

しているのである。

 

 

だから、ぎゃくに「うちの子にかぎって」

という母親のストックフレーズは

死語となったけれども。

 

 

 ここで、とてもだめな教師の話をしよう。

 

 

 

クラスのタチモト君という、

どちらかといえば、スネ夫よりもジャイアンに

近い体型の男だったが、かれが、

 

「せんせい、おれ、学校やめようとおもうんだ」

と言ってきた。

 

そこで、かれはこう言った。

 

 

「お前が学校やめたら、だれがトリュフを取りに行くんだ」

と。

 

 

タチモト君、さっぱり意味が分からず、

ちょっと知性的な友だちに聞いて、

それから怒りだした。

 

けれども、トリュフはそれきり学校やめるとは

言わなかった。

 

 クラスでほとんどビリしかとらない生徒がいた。

担任の先生は、クラスの生徒に、河合塾の公開模試を

受けることを促していたが、そのビリは、

先生のいうことを鵜呑みにし、いつも

模試を受けていた。

もうしわけないが、かれにとって、模試を

受けることは、かれの人生において「ゼロ」である。

 ついに、三年目のある日、担任に申し出てきたのだ。

 

「せんせい、おれ、これ受けて、なんになるんですか?」

 

 なにになる。うーん、なにになる、か。そこで担任は、

即座にこう答えた。

 

 「野となったり、山となったり、なるんじゃないか」と。

 

 ビリは、ぽかーんとしてその場を去った。

きっと、かれはいまだにその意味がわからないのだろう。

いま、そのかれは、神奈川に三軒、ラーメン屋を経営している。

 

 おんなじ担任の話。

 日帰り社会見学のバスの中、もう降りますよ、ってときに、

野球部のタケウチくんは、嘔吐した。

担任は、このあと、先生のご苦労さん会が横浜であるので、

また、そのときのご苦労さん会は、マグロのカマを焼いてくれている、

という情報もあり、タケウチくんにかまっている場合でもなかった。

 

「もう、おわったんだから、お前らで処理しておけ」と、

先生は、マイクでそう言いながらバスを降りた。

 

「待て。それでも担任か」と怒鳴ったのは、おんなじ

野球部の、イイジマである。

 

「うるせぇ。知るか」と、このひどい先生は、

小雨の降る中、横浜に急いだ。

 

 しかし、ものがたりはそのあと、とんでもない

ことになっていたのである。

 

 タケウチくん、傘をさしながら、汚れをおとして、

歩いていたところ、車に轢かれてしまったのである。

 

 ボンネットに乗っかるように轢かれたらしい。

 

担任が、それを知ったのは、翌日の朝である。

玄関にタケウチくんの母親がみえて、その事情を

話された。

車に轢かれたとはいえ、病院で看てもらったが、

べつだん怪我もなく、無事であったのだ。

 

 なにもなくてよかった。

 

で、息子はいまホームルームの部屋にいるので、

なにぶん、よろしくお願いいたします、とのことであった。

 

担任が、ホームルームに行くと、タケウチくん、

教室の真ん中に、ちょこんと座っていた。

 

「タケウチ、お前、車に轢かれたんだって」

 

「はい」

 

 で、その先生は、こう付け加えた。

 

「そーか。踏んだり蹴ったりって言葉はあるが、

お前は、吐いたり、轢かれたり、だな」

 

 ここまで、お読みいただいたかたは、

すでにお分かりだとおもうが、この担任は、

すべてわたしの実話である。

 

 こんなことばかりやっているので、

ついには、学校から追い出されることになる。

 

 でも、わたしは、一人ひとりの生徒に、

ちゃんとちがったものの見方をしていたと

おもうのだが、ま、こんなやつは、抛り出される

ことになるのだろう。

 

 しかし、おもうのだが、学校という現場は、個性と

個性のぶつかり合いだと。

 

 おんなじようにベルトコンベアに乗せ、

ちょっとでも、マジョリティとちがうことがあると、

ハンマーで叩き、平板にし、

一列にきれいに並んでいる

トウモロコシのつぶみたいな教育がいいとは、

わたしには、すぐれた教育とは、どうしてもおもえない。

 

 もう、実現は不可能だが、

わたしの叶わなかった夢は、学校長になることであった。