「せんせい、アウトレイジに出てませんでしたか」
とか、よく訊かれる。
アウトレイジ、北野監督の「すべて悪人」という
あの映画である。
なぜか、わたしはヤクザさんと間違われるのだ。
こんな平和主義のやつはいないと
おもっているのだが、
見た目はそうではないらしい。
だから、そう言われたときには、
「なんだと、コノヤロウ」と
低い声で応えることにしている。
じっさい、ワイシャツは黒しかなく、
ネクタイも赤とか、黒とか、ダークなやつなので、
黒いスーツだと、たしかに、
そんな誤解もあるのかもしれない。
だから、夜などおそろしい。
信号のない通りで斜めに横断しようとしたら、
いちど、車に轢かれそうになった。
女性ドライバーだったが、
たぶん見えていなかったんだろう。
むこうも驚いたようだったが、
こっちはその倍こわかった。
ちょっと前まで、わたしは、神奈川のK学園で教鞭をとっていた。
そこは、入学するのにむつかしく、中学の成績がオール2だと、
はいれない。
オール2だと、この学校より、ランクのうえの学校に
入れてしまうからだ。
つまり、オール1に2がすこし、という
かなりアクロバシィな生徒さんが
うようよ集まっている学校である。
苅谷剛彦というひとが言っていたが、
「比較的低い階層出身の日本の生徒たちは、
学校での成功を否定し、
将来よりも現在に向かうことで、
自己の有能感を高め、
自己を肯定する術を身につけている。
低い階層の生徒たちは学校の業績主義的な
価値から離脱することで、
『自分自身にいい感じをもつ』ようになっているのである」
まさに、それを地で行っているような学校であった。
「俺たちはよ、金はらってんだから、
あんたが黒板消せよ」
とか、鼻息あらく平気でそんなことをいうやつらだった。
わたしは、そういうやつらに
屈するなんて できないので、
このときは、アウトレイジがものを言った。
「お前ぇよ。ここが学校だから大目に見てやってんだがよ、
いいか、表でおれと顔合わすなよ、わかってんだろうな」
とか、平生よりすこしドスの利いた声で諭してやった。
それとか、なんべん、「殺すぞ」と言ったことか。
公立学校でそんなこと
言ったら、大問題である。
が、ここK学園では、なんてことなかった。
さすがに「殺すぞ」と言ったあとには、低い階層のやつらも、
おとなしくなったものだ。
しかし、休み時間など、たまったものではない。
男子生徒と女子生徒が教室で抱き合ったり、
キスしたり、お乳をもんでいたり、
それが、日常なのである。
だから、ほとほと呆れて、わたしは、
担任の、女の体育の先生におねがいした。
「あの二人、しょっちょう抱き合ったりしているから、
ここは、公共の教育の場ですから、
なんとか指導してください」
と、彼女は言下にこういった。
「あの二人、別れましたから」
わたしは、生徒以下の能力に唖然とした。
それより前に、わたしは、
K高校で五年ほど、非常勤ではたらいた。
そこで「イマムー」というあだ名の
英語のわかい先生と懇意になった。
懇意といっても、昼に食事するとか、
お茶するとか、何しろ、わたしの娘のような
子であった。
箸がうまく持てないので、
わたしが徹底的に教えてやった。
が、彼女はいまだにうまく箸がもてない。
サンダルもカカトが取れていて、
ひょこたんひょこたん歩いていた。
わりに、身なりを気にしない先生である。
「わたし、せんせいみたいなひとに
漢文教わったことあります」
と、彼女は言った。
「え、どこで」
「予備校で」
「どこの」
「早稲田塾というところです。
なんか、何やったか覚えてないけれど、
4日間、笑い続けていた気がするんです」
「それ、自由が丘じゃなぃ?」
「そうです」
わたしは、コーヒーを飲み干し、
ふたりそろって職員室にもどり、わたしのレジュメを
彼女にみせた。
「これじゃなぃ」
「あ、これです、これです」
「じゃ、おまえ、おれの生徒じゃん」
じつに呑気な子で、わたしが教えていたことを
まったく気づかずにいたのである。
早稲田塾でも、わたしは、アウトレイジだったし、
K高校でも、おんなじコスチュームだから、
すこしは感づけよとおもったが、
ま、イマムーならしかたないのかもしれない。
いま、教えている予備校で、
わかいせんせいが、
「あの、黒いワイシャツ着ていいですか」
と、室長におたずねしたところ、
「お前は、だめ」と、言われたそうだ。
「お前は」という言い方に、
「だれかなら、しかたない」という物言いが、
前段にあることはたしかである。
その「だれか」がわたしかどうかわからないが、
黒いワイシャツで授業をしているのは、
わたしだけであることは、間違いない。
この間、あまりに寒いので、
予備校を出るときに、正ちゃん帽をかぶったのだが、
それが、わたしには似合っていなかったのか、
生徒が
「わ!」
とか驚いて、
「せんせい、銀行強盗みたいですよ」と言っていた。
ギャップという店で買った、毛糸の帽子である。
なんで、それが、銀行強盗なのだ。
むかしの話だが、わたしが、
カシミヤのコートを着て、予備校を出るときに、
ある生徒がこう言った。
「せんせい、露出狂みたい」
なんでコート着たほうが、露出狂なんだ。
なんだとコノヤロウ。