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言葉のおもみ

 孫ができると、自動的に「祖父」ということになる。

「おじいちゃん」


 とてもいやな響きである。

 祖父母は、金をだしても口出すな。


 これは、人生の鉄則、人生訓である。

 わたしは、娘が孫をつれて実家にもどっても、
そんなにしょっちゅう、孫を見にゆくことはない。


 わたしは、金もないからなのだが、
金もださない、口もださない、顔もださない、
この三拍子である。


 だから、娘にとって、「おじいちゃん」」は
とても気楽だろう。


 ただ、5歳までに、その子の人格が
形成されるから、身のこなし、箸の使い方、
あいさつのしかた、もろもろは
ちゃんと教えろよ、あるいは、
暗いところで昔話を語ることが、
その子の想像力にもっとも有効である、
ということは伝えてある。


 伝えてあるが、それを実践するか、
しないかは、娘しだいなので、
それいじょうは、なにも言わないことにしている。


金もださない、口もださない、顔もださないからである。


ピエール・ブルデューというひとが、
「文化資本」という概念を提唱した。


経済資本にたいする術語である。


文化資本とは、
そのひとの、階級差の指標であり、
それが、5歳までに決定するそうである。


 ご飯を食べたあとに、どうやって「ごちそうさま」をするのか。
どういうふうに「ありがとうございます」を言うのか。
すべて、文化資本にカテゴライズされる。


 たぶん、わたしが、
娘夫婦に、ああしろ、こうしろと言いだしたら、
おそらく、じつの娘でも、イラッとするはずだろう。


 と、いうより、それいじょう、あんまりかんがえも
ないものだから、お前たち、勝手にやれよ、
これが、わたしの教育だったのかもしれないが。


 言葉とは、言霊であるので、言葉には、
命がふきこまれると同時に、まったく無意味な
存在でもある。


 ピグマリオン効果というのがある。

 「わたしは、できるんだ」と言葉にすると、
その仕事がほんとうにできるらしい。

 これは、心理学で証明されていることなので、
あんがい、真実かもしれない。


 だから、「だめだ~、だめだ~」ってほざいていると、
しっかりだめになる。


 言葉が言霊である証拠だ。



 が、「きみのことが好きです」とか、
「いつも、きみをおもっています」とか、
それが、真実なのか、虚偽なのか、
これは、あんがいむつかしい。


 「好きです」と言われて、
不快感をもつひとは、そんなには多くない。


 だいたいは、こころが熱くなるものだ。


 ここが、言葉のふくざつなところである。


 在原業平のような女ったらしや、
はぐれ雲のようなやつだったら、
いくら、言質をとっても、びた一文にもならない。


 「きみしかいない」といいながら、
たくさんの女とつきあっていて、
おんなじ文言をたくさんの女に言っているのだから、
信用できないわけだ。

 なぜなら、できるかぎり、恋仲を持続するためなら、
どんな言葉も惜しみなく生産するのが、
男というものだからである。


 しかし、言われたほうは、嬉しいかぎりである。

じぶんだけに言っている愛の言葉だとおもい、
いわれた当事者は、舞い上がる。
そして、その仕掛けにはいっさい気づかない。
こういう図式を、世に「幸せ」と呼んでいる。


 祖父母が言う言葉、担任の先生が言う言葉、
政治家の言説、恋人の語り。


 どれが真実か、あるいは、保身からのまやかしなのか、
あるいは、まったくのでたらめか。


 しかし、嘘からでたまことという俚諺もあるから、
そのうち、それがほんとう、ということもあるかもしれない。


 ただ、わたしは、まだ「おじいちゃん」と言われるのは、
どうも苦手である。


 けれども、これだけは断言する。

わたしが「好き」と言ったら、これは事実である。