わたしは国文科の学生だった。
とくに文法がすきで国文科にはいったくらいだ。
大学では文法とはいわずに国語学とよぶ。
一年生のころにおそわったフナキ先生は
福島生まれの福島弁を話される方だった。
断定の助動詞は「ダンティの助動詞」となる。
「助動詞」の発音も「ジョドウシ」の「ドウシ」のほうが
音階があがる。
ただ、授業はおもしろく、わたしはいつも前のほうで
一言一句もらさず福島弁をノートに収めた。
なぜ、完了の助動詞の「り」が命令形接続であるか、
説明され、わたしをすっかり感心させた。
時には、「は」と「が」について話された。
「鳥は飛ぶが、鳥は飛ぶとえったらなんかべちのもんまで
飛ぶみてぇな感じがするだ」
その講義は90分続いた。
わたしの大学ノートは7ページにおよんだ。
チャイムが鳴った。
と、先生は「という説もあるが、おれはそうとはオモワネェ」
と、言ったきりさっさと教室を出て行ったのだ。
万年筆をもったまま、わたしはしばらく
その場で動けなくなってしまっていたことを
いまでもはっきり思いだすのだ。
その先生がいちばんまえの前田君に
「オメェ、これ読んでみろ」と指示したので、
前田君、大きな声で、その部分を読みだした。
ところが、前田君は茨城生まれの茨城っ子で
茨城弁丸出しなのだ。
「ナントカデ、ナントカガ」が
全部、高い音程で抑揚がない。
と、フナキ先生は言下におっしゃった。
「オメェノ、ハチオンワリィ」
と、まじめな前田君
「ナ、コトエッタッテ、スカタネェベナ」と言い返す。
「オメェ、ンダカラ、おれがえったことワガンネェカヨ」
「ダトモ、オラだって・・」
わたしは、頬杖をつきながらふたりの会話を聴ききながら
おもった。
「ここ、どこだよ」