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返答のしかた

 英語は、日常生活するのに、
1500語程度で暮らせるらしい。


 オーマイ・ゴッドやシット、とか、ファックとか
そんなこと言ってらなんとかなる。

 フランス語は、ややこしいので、
それでも4000語くらい。


 しかし、こと日本語となると、そうはゆかない。
専門家に言わせると、日本語は、
日常会話を支障なくこなすには、
27000語から30000語必要だそうだ。


 承知いたしました。かしこまりました。
了解です。承ります。わかりました。

 おんなじこと言うのにも、
そのひとによって、あるいは場によって
さまざまに選択しなくてはならない。


 英語なんて、よくしらないが「イエス・サー」とか
言っておけばいいんだろ。


 好みの言い方を、ロラン・バルトというひとは、
「スティル」と呼んだ。


 じぶんなりの、言い回し、息継ぎのしかた、
節回し、そんなものをそう呼んだ。


 川端康成が、ノーベル賞の受賞公演の
タイトルが「美しい日本のわたし」であったが、
あれは、文法がおかしいとは、「雪国」の作者は、
おもってもいなかったろう。

「美しい日本のわたし」は、川端先生のスティル
であったと、ご本人はそうおもっていたに違いない。



 そのすティルであるが、
当意即妙な返答のしかた、そういうことが
できたら、素敵な人生になるとおもうのだ。


 わたしの知り合いの女性で、しょっちゅう、
「なことで死ぬわけないし」ということを言う方がいる。

「死ぬわけない」と生死にかかわることを
だされてしまったら、返事に窮する。

だから、わたしは、「そんなこと、死ぬわけないし」と
言われたときは、すかさず「でも、生きた心地がしなかったよ」
と、あいさつすることに決めている。


 恋人同士が別れるとき、男はきまって
捨て台詞をいう。


 「たまには、おれのこと思い出せよ」

と。


 そのとき、いい女の捨て台詞はなにか。

 「ううん、思い出さない」

 これにかぎる。

 と、男は、虚を衝かれ「え」となる。

そこでこういうのだ。


 「だって忘れないもの」


「・・・・・」


 こう言われたら、しびれるだろうね。
なんでこんな女をおれは捨てたのだろう。

 うしろ髪を、フォークリフトで牽引されたような
気持ちになるのじゃなぃかな。



 「お前、何様のつもりだ」
なんて、言われる。

 そのときは、

「お互いさまだ」

 と答えるとよろしい。



 ナンパ氏が、街ゆく女性に声をかける。

「どうです、珈琲でも」

 と、「珈琲きらいなんで」。

「なら、紅茶ならいいでしょ」


 ずいぶん昔の手の内である。


 まだ、子どもが乳幼児のとき、
東急ストアに買い物にいき、粉ミルクがないので、
妻がそのまま帰ってきたら、駐車場で500円取られた。


 なにも買わずに帰ってきたらか
仕方ないが、ほんの数分で500円。

 法外である。


 で、わたしは、あとから東急ストアに電話して、
「粉ミルクを買いにいったのに、
そちらには粉ミルクがないから帰ってきたのに、
なんでお金とるんですか」と、クレームした。


 そうしたら、「たぶん、駐車場係が臨機応変な態度を
とったとおもうんです」との答え。

 だから、わたしは「臨機応変な態度がとれなかったから、
地元の人間から法外な料金をとってしまったんではないですか」
と、係のひとの言葉を、そのまま返してやったら、
それから、すっかりだまりこんで、返金ということになった。


 やはり、返答の仕方で、人生は変わるものだと
おもうのである。


 27000語というと、新明解国語辞典で75000語あるから、
その3分の1くらいは知っていなければ、
暮らせないということである。

 
 さて、わたしは、どのくらいの語彙力があるのだろう。



 この間、「周旋」という言葉を知らずに辞書をひいた。

 仕事などを世話するという意味らしい。
ハローワークのようなところでは、日常であろう。


 「えー、わたし、子どもが7人もいましてね」

 と、ハローワークの職員が言った。
 
 「ほかにできる仕事は?」



  このギャグを教室で言ったら、
里佳子だけが笑った。

 「おい、里佳子、笑ったのはおまえだけだぞ」
と言ったら、彼女はパーって赤面していた。


 かわいい。



 自由が丘の並木道を、チサトと歩いていたとき、
彼女が、初夏の青々とした木々をみて、

「これ桜だった?」とわたしに聞いてきた。

 だから、わたしは答えてやった。

 「いまも、桜だよ」