うちの店は食券制なので、
店内の奥にある券売機で購入していただくこととなっている。
12時をまわったところで、男性おふたりが入店。
ひとりの青年が食券を、そして年配のかたが、
券売機にいかずに、すぐにサービス券をだして、
「水餃子ね」とおっしゃった。
わたしは、その券に印鑑を押すと
かれは、なにかゴソゴソと財布の中を
探されている。
どうされました?
とうかがうと、
いや、いまチケットがどこかにいっちゃって。
と、言う。そしてカウンターのあたりを
見回したり。
あの、まだ食券ご購入しているの、
わたくし見ておりませんが。
と、もうしあげたら、
いや、たしかに買ったんだけれどね。
はぁ、そうですか、わたしはまだ
お客様がまだ券売機まで行かれたのを
見ておりませんが。
いや、そんなはずはないよ。
では、なにをお求めで?
並盛りです。
かしこまりました。
と、わたしはしかたなく、
水餃子と並盛りをつくりはじめる。
まだ、はじまったばかりであるので、
お客様は、年配のかたを含めて7名ほどである。
年配のかたは、まだ財布を探されている。
じゃあ、もう一回買いますよ。
と、よほど気にされているのか、そう言われた。
「もう一回買う」ということは、脳のなかでは
いちど購入したのに、それが店に伝達されなかったから、
たったいちどの食事で倍の金額を支払うという、
被害者的な受苦な意識をもたれることになる。
それは、もうしわけない。
いえ、いま、券売機をあけまして、
お客様がご購入されたか、すぐわかることですので、
いま調べますから、お待ちください。
と、わたしは、ラーメンと水餃子をお出しして、
すぐ券売機を開き、印字する。
とうぜんだが、このお客様の数字をカウントされていない。
あ、ちゃんとお買い求めになっております。
この券に記録がございますから。
わたしは、嘘をもうしあげ、
その場は、それでおさまった。
すると、このお客様は食事されたあと、
さっと立ち上がり、券売機で800円のチケットを
購入されて、
いや、もしかしたら買ってないかもしれないから
と、「並盛り」のチケットをわたしの前に置いて
くれたのだ。
あ、ありがとうございます。
じつは、お客様、ご購入されていませんでした。
わたしは、ここで正直にもうしあげた。
そーか、つい、違うこと考えていたから。
そうだったんだ。
と、お客様はかるく挨拶をして店を
出てゆかれた。
思い込みというものは、そういうものである。
しかし、思い込みが思い込みとわかり、
わだかまりも、すっかりなくなったあとは、
ひどくすがすがしい時間がやってくるものだということが、
わかったのである。