「平家物語」などの軍記には、
武者言葉というものがある。
武士特有の言い回しである。
「射させたり」
などが、その典型的な例。
矢に刺さったのだが、
それを受身でもって「射られけり」なんて言わない。
受身の「れる・られる」は、そもそも「迷惑」を
表す用法だから、武士たるもの、矢に刺さったとしても、
「迷惑」などではない、「射させてやった」のである。
負けずぎらいというか、むしろ、
こういう使役表現で、みずからの矜持を保持したのだ。
それと類比的に、
米軍言葉というものがあるのではないかとおもっている。
オスプレイがぐちゃぐちゃになって
沖縄の海に墜落したのだが、かれらは、
そういう「墜落」のことを「不時着」という。
墜落など、けっしていうわけもない、
かれらの矜持は「不時着」という、
あくまで、カタチはどんなであれ、着陸なのである。
こういうその関係者のあいだだけで
使われる特有の言語のことを「位相語」とよぶ。
「不時着」も墜落の位相語とおもえば、
なにも腹が立つわけではない。
いいわけでも、ごまかしでもない。
位相語なのだ。
言葉というものは、それが発せられると、
言葉は「言魂」であるから、いのちが吹き込まれ、
なにかとくべつな意味をもってしまう。
ちょっと道にそれるが、ピグマリオン効果などは、
その例だとおもう。
「よし、必ずできる」と言い続ければ、
あんがいできるものである。
「合格するんだ、合格するんだ」と、
やはり言い続ける、そうするといい結果がでるものだ。
これがピグマリオン効果。すでに心理学では
認められている効果である。
だから、おれはダメなんだァ、とほざいていると、
ほんとうにダメになる。
オバマ大統領の、一期目の選挙のときの
スローガン。
Chang.Yes.we can.
これである。このアジテートが功を奏し、
みごと初の黒人大統領が誕生した。
しかし、国はなにひとつ変わっておらず、
Chang.Yes.we can.
は、一人歩きをし、着地する場もないままであった。
アメリカは、いまだ、Changeもしれなければ、
we can も経験していない。
アメリカ国民は、このお題目をすでにわすれていたのか、
あるいは、こころのかたすみにこびりついていたのか。
それが、あのトランプというひとが登場し、
「なんか、とんでもないことを言っているけれど、
このひとなら、アメリカを変えてくれるかもしれない。
おぅ、まさしくChang.Yes.we can.じゃないか!」
と、国民がおもったのではないか。
Chang.Yes.we can. は、8年の醸成期間をへて、
ようやく、トランプという破天荒なひとのもとに、
花開くのかもしれない。
つまり、オバマ大統領の、あのセリフが、
クリントンを失脚させ、
ついには政権も民主党から
共和党に移譲させることになってしまったわけだ。
変わらなかったアメリカ。
変えなければならなかったアメリカ。
さて、民主党政権を保持できなかった、
オバマさんは、任期終了後、
どういう位相語で、みずからを語るのだろう。