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噂あれこれ

「噂」とはどのようなものなのだろう。

そもそも、「噂」という語はいつごろから
あったのか。

調べれば、鎌倉時代の古辞書(『節用集』)に
「うはさ」は収録されているから、
平安のおわりころにはあった言葉である。

ただ、それより前の古辞書にはなかった。
発生はわからないけれど、
『大言海』という辞書によれば「浮沙汰」が語源だという。


『大言海』は、初出資料が載る、
ひどくめずらしい辞書なので、
こういうときに便利である。

で、『大言海』によると、「噂」という文字が、
作品になるにはかなり時代がくだる。




「あやなや昨日今日までも、
よそに云ひしが、
明日よりは我れも噂の数にのり、
世に歌はれん。
歌はば歌へ」

近松門左衛門、『曽根崎心中』のくだりである。
これが初出らしい。



つまり、「噂」という語が、はっきり世にでるのに、
江戸時代、元禄文化まで待たねばならなかったということである。


そもそも、平安時代初期の『大和物語』
という歌物語なんかは、女房のあいだの噂話を
集めた本だし、『今昔物語集』などをはじめとする説話文学は、
噂そのものである。

噂話の、急所は、その内容の真偽はどうでもよい。
人々の関心をひく、スキャンダラスな内容であり、
ひょっとすると、ほんとうかもしれない、
ギリギリで、かつ、秘め事でなくてはなならない。

世の中に知悉されている事情なら、
噂にはならないわけだ。


噂の構造は、とうぜん移動である。

近世にはなかった概念の「情報」とおんなじ構造だ。

「情報」も「噂」も生産性はない。

「情報」と「噂」との相違は、その速度にある。
「情報」は早ければ早いほど得をする。
「情報」には、速度と利害とが付随するが、
「噂」は、じつにゆっくりと、酸が侵食するように
じわじわと、ひとの心に染み込んでくる。
おまけに、そこに利害はうまれない。

じっさい、芸能レポーターは、この「噂」を
飯のタネにしているから、利害がないとも言えないが。

「情報」と「噂」の、共通項は「蕩尽」にある。

「情報」も「噂」も、それをしまいこんでは意味がない。

使い切るからこそ、意味をもつ。

「情報」は、それをみずからのベネフィットに基づいて、
使い切ることが、もっとも功利的であるが、
「噂」は、「こんなおもしろい話、だれかに伝えなくては」
という、「黙っていられない」心のそわそわした感情が、
「噂」というカタチになって、人づてされる。

「情報」という、どちらかといえばデジタル的に対し、
「噂」はアナログである。

ただ、このアナログは、
池にうかぶ水草のように、
一日でふたつに別れる水草は、
二日で四つ、四つが八つにと、
じわじわであるが、確実にひろがり、
ゆっくりではあるが、いずれ池一面を覆い尽くすことになる。

そして、その広がりはだれにも止めることができない。

だれかとだれかが付き合っているとか、
イラクで邦人が撃たれたが、その裏には
こんな話があったとか、
初代若乃花と貴乃花は、兄弟でなく親子だった、とか、
沖縄のアメリカ軍基地には原子爆弾がある、とか、
あいつは、大麻をやっているとか、
9.11テロには、CIAも加わっている、とか。


どうであれ、話の真偽は定かでないものばかりである。
そして、その内容が、ひとに言ってははばかれるものほど、
「蕩尽」しようとする傾向が強いのだ。

話に付着する負のアウラが強いほど、
波動拳よろしく、ひとに伝えようとするのである。


「ね、これだれにも言わないでね」

このまじないのような一言は、「拡散希望」という含意をもって、
これからはじまる秘め事の物語の一部が公開されるのだ。


そして、ひどく困ったことは、
噂話は、無責的に語られるということである。


「情報源」が責任を取らされることは
事実、あるかもしれないが、こと、「噂」にはそれがない。

自由という免罪符を持ちながら、
天下の大道を闊歩するのである。


だから、噂をするほうはいいが、されるほうは
たまったものではない。


佐々木俊尚というひとが『当事者の時代』で、

「いつから当事者でもないくせに、
弱者面して、憑依してでらめをしゃべるようになったのか」
と、語っているが、こういうエネルギーが「噂話」を醸成させる
ひとつの原動力となっているのかもしれない。


そういえば、福島第一原発は、メルトダウンを
通り越して、メルトスルーし、地球の中核まで
沈み込んでいる、なんて話もきくが、
真偽のほどはわからない。



ま、世の中に生きるいじょう、
あんまり噂されたくないものである。

されたら、しかたない、拡散は免れないので、
曽根崎心中ではないが、
「歌はば、歌へ」と放任するしかないのであろう。