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カルチャーショック

 カルチャーショックということば、
すでに死語なのだろうか。

 いまの若い子たちは、「なんでもある時代」に
生まれたから、高度文明のカルチャーショックはないかもしれない。

 むしろ、彼ら、彼女らは、
未開の地に行ってみたらよろしい。

 西アジアのどこそこの国は、
高速道路のサービスエリアに灯りがないらしい。
サービスエリアといっても、ただトイレが
ぽつんとあるだけ。

 そのトイレだけには明かりが煌々と点っていて
だから、真っ暗なだだっ広い空間に、昼のように明るい
一点があるわけだ。
 それだから、その一点に、
虫という虫、イモリなどの爬虫類、
それらがびっしりと棲息しているそうだ。

 ひとは、そこで用をたさなければならない。

 うちのバイトの裕子じゃ、無理だな。

 知らぬ土地に降り立った時の
そういカルチャーショックはとうぜんだろうが、
たとえば、時間的なラグによるショックもある。

 懲役30年の刑をおえ、シャパに出てきたひとの
本を読んだけれども、
まず、おどろいたのは、駅の改札だそうだ。
それまで、獄中で、日本の「いま」をレクチャーされて
いたそうだけれども、駅の改札までは教わっていなかった。

 駅員が、とくべつのハサミでカ
チャカチャしている光景はどこにもなく、
なにか、人々は、改札のところで、
ペタペタしてる、それがなんだかわからなかったらしい。

 駅員に尋ね、尋ね、ようやく切符を購入し、
その切符で、ペタペタしたのだが、
門扉がしまって入れなかったそうだ。


 30年の時の流れは、しずかに、そしてじゅうぶん
過ぎてゆくのである。


 わたしの小学4年生のときの話である。

 三重子ちゃんちに遊びにいったとき、
トイレを借りた。

 わたしは、幼稚園でも小学校でも、人の家でも、
トイレを借りるのが苦手、というより、できなかった。

 じぶんちの、あの「ボットン」でないと、
うまくできないのである。
緊張するのか、ひとにそうおもわれるのが、
いやなのか、よほどでないかぎり、自宅ですませていた。


 だから、三重子ちゃんちでトイレを借りる、
というのは、よほどの緊急事態だったのだろう。


(ここで喫緊とかつかうと、うるさいひとがいる)


「うちのトイレ変わっているから」と彼女はいう。

「そ」
なにげなくそうあいさつしたけれど、
いざ、トイレを開けた瞬間、フリーズした。

 日常の、

まんなかに穴があいていて、
穴をのぞけば、家族の排便がそっくりみえる、
あの「ボットン便所」ではなく、
西洋のお風呂をすこし小型にした、 白い陶器が

部屋の真ん中に置かれている。

蓋は開いていて、

Uの字型の、これもやはり白いものが、

その陶器のうえに乗っている。



とにかく、わたしには未知の白い巨塔が
そこにそびているようにおもった。

この空間を、この白いものが凌駕しているようにも

子供ながらにおもった。

いまから、おもえば、それは、

それに圧倒されていた、ということにほからないのだが。



床がぴかぴかに光っていた。


「どうすればいいのだ」

三重子ちゃんの「変わっている」は、これだったんだ。


人生ではじめて洋式便所と遭遇した瞬間であった。


しかし、どうしてもここで用をたさねばならない。

そういうとき、ニンゲンは、子どもでさえ、
文化の相違を架橋する理路として、
共通項を探すものである。

幼いわたしがかんがえたことは、
和式の、いわゆる「金隠し」と、洋式の「蓋」と、
そこの形状が似ているのではないか、ということだ。

だから、10歳の少年は、
洋式便所のUの字型のうえに乗り上げて、
あの蓋を両手でもって、事をすませたのである。


ものすごい高い位置でのトイレである。

たぶん、遠目でみれば、
馬の騎手のようになっていたのかもしれない。

ま、それはそれで、無難に事をすませたのであるが、
つぎに困ったことが起きたのである。

紙がとれないのだ。

背中の、ものすごく遠いところに、
ペーパーがある。泣き出したくなったが、
そこまで、カニ歩きのような恰好で紙を取りに行ったのだ。


 文化の違いとはおそろしいもので、
日本のトイレは、進行方向とおなじように、
そこでしゃがめば用足しできるが、
西洋は、進行方向とはぎゃくに、いちどくるりと
回れ右して、用を足すわけである。


 つまり、ベクトルの向きが真逆だということだ。


 わたしが、このアクロバシィなトイレのしかたが、
まちがいだったと気づくのは、
「いなかっぺ大将」という漫画を見たときである。

風大右衛門という主人公が、洋式トイレを使っている。
それも、ばかだよ、ぎゃくに座っているじゃないか。

わたしは、抱腹絶倒、腹をよじらせながら、
母にその絵を見せたのである。

「見てよ、これ。この座り方」

と、母は

「なに? これでいいのよ」

「・・・・」

これは、小学校6年の話であるので、
わたしの座り方が間違っていたことに
気づくのに、おおよそ2年かかったことになる。