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コード論

 記号論という分野では、
「記号とは世界分節の差異化である」とおしえる。

つまり、名付けることにより、
対象物と他のものとを分けるということである。


 そして「コード」という発想も必要である。

「十」という記号がある。
これに、算数のコードを代入すれば、「たす」、
数学のコードを入れれば「プラス」、
漢字というコードで変換されれば「10」ということになる。

 差異化する記号であるが、それにコードという
概念が、またあらたな意味をあたえるのだ。


 「ロコモティブシンドローム」という
あらたな概念がうまれた。

 医療関係者のこさえた概念である。
このように、あらたに作られた概念を操作概念とか、
道具概念と呼ぶのだが、民間流布には
必要な発想である。

 この「ロコモティシンドローム」は、
 老人の運動器障害のための運動低下を意味する
操作概念である。これによって、身動きの取りにくい老人を
そう呼ぶことによって、健常者との差異化が
はっきりするというものである。

 よぼよぼのご老体に、「ロコモティブシンドローム」の
コードを代入してみて、イエス、オア、ノーと鑑み、
イエスなら、要介護、という具合になる。


 ラジオでやっていたが、無季の自由律俳句のコーナーがある。


 ・明日からわたしと犬とふたり


 こんな作品だったとおもう。

 さまざまに解釈可能である。

 「伴侶を失ったひと」というコードを当てはめてみれば、
せつない悲しみの人生などという意味になろう。

 「独身生活者」というコードだと、
ひとり家族の増えた至福の歌となろう。


 ひとが、どういうコードを選択するかは
そのひとの、いままでの生活ぶりや、心情、
文化資本、社会から受けてきた経験など、
まったくさまざまで、かつ、自由なものなのである。


 きょう、インフルエンザの注射を打ちにいった。

注射器をトントンとやっている先生に、

「そういえば、わたしの教え子で、
今年度から看護婦になった子がいましてね。
先輩のナースから、
いろんなところに針打たれて、
『ほら、痛いでしょ』って、身をもって教えられているそうです」


と、先生は、

「え。そんなことあったらたいへんだよ。
聞いたことない。それただのいじめだよ」

「いえ、その子、左腕、そこらじゅう茶色いアザになってました」

「それ、出るとこでたら大問題だよ」
と、先生はつづけられた。


そういえば、彼女は、のんびりとした女子高育ちで、
性格ものんびり屋だから、
注射の指導も「いじめ」というコードはおもいもよらず、
彼女の選択したコードは「教育」だったのである。