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女性はいつも正しい

 男女平等、ジェンダーなどの語彙が

日常的になっている昨今、

「男らしい」とか「女らしい」など

放送禁止用語となってしまっている。

 

 ただし、大晦日だけは、

はなやかに男女にわかれて歌合戦を

無自覚にする国であることはまちがいない。

 

 なぜ、男が白組で女が紅組なのかもじつは不明である。

 

 管見であるが、わたしは「男」は男、

「女」は女と、差別ではなく区別はあるべきだとおもう。

もちろん同権であることはゆるがない。

 

 しかし、肉体的にも相違があるし、かんがえかただってちがう。

 

 これも私見であるが、

どうも女性のほうが過去にベクトルが向いている気がする。

 

「あのとき、ああすればよかったのよ」

とか、「だから、言ったじゃない」という言説である。

 

 ほら、だからあそこで四筒すてないで、

七筒すてれば、ロンされなかったろ、みたいなはなしだ。

 

 ようするに、過去のはなしで「ああすれば」というのは、

たしかに結果が出ているだけに、

「ああ、おっしゃるとおりですわ」という具合になる。

 

 だけど、もう終わってしまったことは取り返しがつかない。

 

女性は、その取り返しがつかないことを

輪をかけて詰問したりする。

 

 しかし、世の中は過去にはもどれない。

 

それよりも、こうなってしまった以上、

明日はこうしたらよい、という建設的な意見のほうが

未来が見えてくる。

 

男はあしたを見て生き、女は過去を見て生きているのだろうか。

 

 これは、あくまで偏見であって、なんのエビデンスもない。

父権性イデオロギーの作動だといわれれば、そうかもしれない。

 

 しかし、これがわたしの実感なのだ。

 

 

「ああすればよかったのよ」はたしかに正しい。

なぜなら、いまはいい結果でないのだから。

 

女性は、正しいという信憑によって

他者を窮地においやるのである。

 

その正しさは、言われた当事者にとってみれば、

「そのとおり」という言葉と、どうすることもできない

一首の呪いをうけるのである。

 

 つまり、過去をふりかえるときに

相手に呪いをかけている可能性があることを

わかってもらえると男女はもうすこしうまくゆくのかもしれない。

 

正しさはときには呪いとなって出現するのだ。