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♪喫茶店に彼女とふたり入って

 珈琲を注文すること

 ああ、それが青春 (吉田拓郎「青春の歌」)


 こういう歌を聴きながら中学、高校をおくっていた。

 わたしは、中学時代も高校時代も女っけゼロ、
ぶらり一人旅だったので、吉田拓郎が言う青春
に真実が含まれているなら、わたしの青春はゼロとなる。

 高校時代は、麻雀かパチンコか雀球(そういうパチンコみたいなのがあった)か、
ギターだった。

 青春というものがどんなものか、
事後的にもわかれば、ほっとはするものの、
たぶん、わたしに青春だねって誇れるものはなかったようだ。

 彼女がもしできそうになっても、
じっさいは、ずいぶんみんなから嫌われていたから、
たぶんできなかったのはとうぜんなのだろうが、
もし、できそうになっても、
破局になったときのショックが怖くて、
きっとその先にすすまなかったろうとおもう。

 ずいぶん臆病な話である。

 大学に入ってからは、父の定年にあわせ、
父が店をはじめたので、その手伝いのため、
オープンするまでは、錦糸町という
ちょっとこわい街で修行がはじまった。

 炉端焼きの焼き場である。

 だから、ほかの学生のように、
夜から飲みに行こうぜ、とかない。
セロである。

 飲みにいくどころか、飲みをいつも板場から
見ていたわけだ。


 で、なんやかんやで、就職し、
学校で教師というものを24年もしていて、
すぐに結婚もしたので、やはりわたしの
青春の影を拾うことはできなかった。


 彼女がいなかったくせに、
よく結婚ができたものだとおもうが、
そのへんは、ま、お手柔らかに。


 で、しらぬうちに子どもも大きくなり、
結婚をし、その子に子どもができ、
つまり、わたしは、ほんとうの爺様になった。

 じぶんの人生にいったいなにがあったのか、
たぶん、枚挙にいとまないほどなにかがあったのだろうが、
知らぬうちの加齢が、なにも拾えないまま
ここまで歩んできたようにもおもう。


 高校時代の友人はいまではひとり。
大学時代の友人もいまではひとり。
(この友人は、いま「妻」という言い方でもよい)


 うん、なにも残っていない気もする。


 今朝、薬をのんだ。日課である。

 どこぞの芸人ではないが、朝に薬をのみ、
夜に酒をのみの交互の生活だ。


 と、どうしたことか、
薬をのもうと錠剤をとりだしたのだが、
その錠剤をゴミかごにいれ、手に残っているのは、
銀色のパッケージなのだ。


 唖然とした。


 28錠ときまっているから、一粒でももったいない、
わたしは、45リットルのゴミ袋のなかから、
この、米粒ほどの薬をさがすはめになった。


 九十九里浜から一本の針をさがすような作業だった。

 彼女とふたり喫茶店にいって珈琲をのんだり 、
そんな青春を拾うことがなかったわたしだが、
いま、わたしを生かそうとしている オレンジの

ささやな粒を拾おうとしているのである。