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不思議徳島

義母の四十九日に来ている。

徳島の家は、義母ひとりだったから、
いまでは空家である。すこし黴臭い。

 庭は草が生い茂り、高知から来た妻のいとこたちが、
せっせと草刈をしてくれた。

 刈られた草は燃やされ
白いけむりが空へと立ち上ってゆく。

 法要に来られたのは長女だけだった。
長男も次女も来られなかった。

 すでに嫁いでいる長女なので、
親子三人、顔を合わすのはひどく稀有なことだった。

 さすがに田舎である。トンボもカエルも蜘蛛もバッタも
自然のなかに溶け込むように暮らしている。


「ニンゲンはな、道具を使ったときから、
世の中の『外』で暮らしているんだ。
ほかの、動植物はすべて、世の中の『内』にいるんだな。
だから、お前もそうだろうが、虫が嫌いなんだよ」

「ふーん、そうなんだ」
ユイはどうでもいいような返事をする。


「おれは、どちらかといえば、世の中の『内』で
生きているんだな」


「ほんとかよ」
長女は、やや言葉があらい。


 と、台所でふたりで話をしていところに、
小蝿が飛んできた。妻が、すぐさま殺虫剤をまく。

 おそらく小蝿に命中したのだろうが、世の中の内側の
昆虫は、そのままどこかに飛んでいった。


 と、どうしたことか、わたしの腕に止まっているじゃないか。


それを見てユイが笑った。

「ほんとだ。内側だ」

庭に通じるドアに蛾がいた。また、妻がシュッとした。

そうしたら、そのままその蛾はわたしのところに
飛んでくるではないか。
まるで助けを求めるみたいに。あるいは、
最期を看取ってもらうかのように。


これを見て、またユイは笑った。


このユイという女は、父をどうおもっているのか。
おそらく、ものすごい変わり者とおもっているはずだ。

そして、尊敬も敬愛も情けもない。

歯を磨こうとして、洗面台に歯ブラシを取りにいき、
どこ見ても、歯磨き粉らしきものがないので、
これかとおもい、チューブから出したときに、
それが、クレンジングクリームだったことに気づき、
おもわず蓋をしめたら、ユイはわたしにむかって
ひとこと。

「ざまみろ」

どうも、育て方がまずかったのか、
あるいは彼女の生得的な性格か。

四十九日は、吉野川を渡ったところの、
真言宗のお寺で行われた。

そこには、義父も眠っている。

僧侶は、やさしそうな初老のかたで、
しかし、なにを唱えているのか、ほとんどわからなかった。

おまけに、ずいぶんと長いお経だった。


わたしどもは、椅子に座りながら合掌をしていたのだが、
その絨毯のうえにむこうのほうから這ってくる虫がいた。

ゲジゲシのお父さんのような風体である。

ムカデではない。が、妻もユイもなにしろ虫ぎらいである。

僧侶のお経中にもかかわらず、ふたりそわそわしている。

すると、わたしどものほうまで、
そのゲジゲジっぽいのがやってくるではないか。

妻は、逃げ出した。

ユイが、お父さん取ってよ、というのだが、
ま、いいじゃないか、しぜんの仲間じゃないかというような
素振りをしていたら、なんと、わたしの前で、
このゲジゲジ君、回れ右して、わたしの足元にくるではないか。

ユイが目を丸くしている。


後ろから妻のいとこがティッシュを差し出してくれたので、
わたしは、その訪問者を軽くくるみ、そばにあった紙袋にいれた。

寺で殺生はまずいでしょ。


法要がおわって、その話をユイは、おもしろそうに話す。

「すごいよね。お父さんのところで直角にまがってきたよね」


たしかに、わたしは世の中の内側にいるとか言ったけれども、
それは、九分九厘の冗談で、虫と友人関係にはない。


田舎はふしぎなことが起こるものである。


 今朝は、東京にもどる日である。

 ユイがゆっくり起きてきて、

「きのう、夜中にお父さんトイレに行ったでしょ」

「ああ、一時ころな」

「それから一時間くらいして、トイレのほうから、
白い、うーん、スカートみたいかな、そんなものが
廊下をすーって通っていったんだよ」

廊下はくもりガラスだから、人影がうっすら写るのである。

「でも、お父さんじゃないよね」

「うん、それおばあちゃんだな」

「そーか、お母さんがうえに上がっていったんじゃない」
と、妻が言った。


たしかに、四十九日までは魂はまだこの世に彷徨うが、
その日をさかいに、天にのぼるという。


 世の中はふしぎなことがよく起こる場所である。