「焚くほどは風がもてくる落ち葉かな」
これは良寛さんの句です。
新潟の江戸時代を代表する名僧、
たくさんの逸話を残した方です。自然のなかに自然とともに生きた話がいまも語られています。
と、同時代、長野の山奥に小林一茶がいて、この良寛さんの句をどういうわけか、
「焚くほどは風がくれたる落ち葉かな」と、改変してしまいました。
その異同は「もてくる」と「くれたる」の四語なのですが、
ここに両者のおおきな人生観のちがいがあるのです。
「もてくる」というのは、なんの感謝もなくただ、風がはこんできた、という意味です。
が、「くれたる」だと、そこに感謝の意が生じます。「風さんありがとう」という具合に。
つまり、良寛さんは自然のなかにみずからも居て、
風も小川のせせらぎも動物も虫もすべての生きものとおんなじ地平にいるのです。
ミツバチがレンゲの花に謝意をもって蜜を吸うでしょうか。
小鳥が木の実をついばむのに、感謝の気持ちがあるでしょうか。
ようするに良寛さんは、この世、地球の内側に、生きとし生きるものとともにいるのです。
しかし、一茶は、純粋なニンゲンですので、自然と対峙しているのです。
「これがまあついのすみかか雪五尺」。雪も風もすべては一茶とむきあっている、
つまり、一茶は、世界の外側のひとなのです。
我われは、おおよそ、世界の外側に生きています。
もろもろの生き物は、自然サイクルのなかにあり、
ゴミをだしたり、消滅しない「悪」のようなものをいっさい残したりしません。
が、どうですか。アスファルトは永久に消えず地球の表皮をおおうようですし、
原子力の燃えカスはふえつづけています。近代国家が歩んできた道は、
地球に禍根をのこしながら人類は繁栄と、その反動としての「負」の遺産を積み上げてきています。
さいきんのひとは虫をきらいますが、外側の住人が、
内側の生き物と仲良くできるはずはないのです。
SDGs(エス・ディ・ジーズ)、いわゆる国連が定める十七の目標で、
持続可能な開発目標がさいきん国連総会で採択されて話題になっていますが、
これは、つまり、外側で地球をかえりみずに発展してきたニンゲンの反省であり、
内側の自然を取り戻そうという運動であるわけです。
言い換えれば、内と外との架橋であり、人類が破壊してきたものへの償いなのです。
「あれ、こんなにひどいことになっちゃった、ヤベー」と言いたいところを、
肌触りのよい言葉に置き換えたのがSDGsという概念なのです。
それが、彌縫策であれ、焼け石に水であれ、
地球再生のひとつの道筋であることには変わりありません。
ただ、その運動が、地球の外側から、
俯瞰的にシニカルにペタンチックに見おろししていては、
なの解決もないでしょう。人類が、クローズドシステムの地球の外側ではなく、
内側にはいりこみ、良寛さんではないですが、
自然や、自然の生き物とともに生きるという
姿勢がだいじなのではないでしょうか。
アソシエーショニズムという概念は、
人びととの関係性をのべているものですが、
その関係性の枠組みを地球の内側にまで
視野をひろげていくことが急務な気がしています。