Menu

お得なアプリでクーポンGet!

店舗案内

中動態

 

 世の中は、能動的と受動的の二択のようにかんがえられています。

わたしどもの小学校時代、

校長先生が「進んでやるのは上の上、

真似してやるのは中の中、言われてやるのは下の下」

とおっしゃっていました。

進んでやる、つまり能動性です。

言われてやる、受動性です。

 

幼いころ、わたしは、じゃ、

言われてもやらない子はどうなるのか、

などとおもっていたのですが。

 

 

 では、真似してやる中の中は、

能動性でしょうか、はたまた受動的でしょうか。

 

 ニンゲンなまけもの説という考量があって、

ニンゲンはそもそも、なにか出来事がなければなんにもしないという

生き物だというかんがえです。

 

 そこにじつは「中動態」というかんがえ方があります。

能動的でも受動的でもない。つまり与えられたものに拓かれる、という仕方です。

 

 野球をおもいだしてください。

ピッチャーの仕事は、もちろん、守備もあるし、

ときにはバッターボックスのたつこともありますが、

もっとも大事な仕事は、球を投げることです。

キャッチャーは、球を取ることが仕事です。つ

 

まり、ピッチャーは能動的で、

キャッチャーは受動的です。では、バッターはどうでしょうか。

ピッチャーが投げた球を打ち返す、これが仕事です。

もちろん、見逃すこともありますし、空振りもあります。

が、やはり打ち返すことが本命です。

 

 ようするにバッターの役目は、

能動的にやってきた白球を、それまではじっと受動的に待っていて、

の前に来て、能動的に打ち返す、これが中動態の在り方です。

 

 「彷徨える河」という映画があります。

アフリカ奥地を取材した映画です。

そこの原住民は、自然から与えられたものに反応して生活をします。

けっしてみずから積極的に行動はしません。

この原住民こそ中動態の原型だといってもよいのです