世の中は、能動的と受動的の二択のようにかんがえられています。
わたしどもの小学校時代、
校長先生が「進んでやるのは上の上、
真似してやるのは中の中、言われてやるのは下の下」
とおっしゃっていました。
進んでやる、つまり能動性です。
言われてやる、受動性です。
幼いころ、わたしは、じゃ、
言われてもやらない子はどうなるのか、
などとおもっていたのですが。
では、真似してやる中の中は、
能動性でしょうか、はたまた受動的でしょうか。
ニンゲンなまけもの説という考量があって、
ニンゲンはそもそも、なにか出来事がなければなんにもしないという
生き物だというかんがえです。
そこにじつは「中動態」というかんがえ方があります。
能動的でも受動的でもない。つまり与えられたものに拓かれる、という仕方です。
野球をおもいだしてください。
ピッチャーの仕事は、もちろん、守備もあるし、
ときにはバッターボックスのたつこともありますが、
もっとも大事な仕事は、球を投げることです。
キャッチャーは、球を取ることが仕事です。つ
まり、ピッチャーは能動的で、
キャッチャーは受動的です。では、バッターはどうでしょうか。
ピッチャーが投げた球を打ち返す、これが仕事です。
もちろん、見逃すこともありますし、空振りもあります。
が、やはり打ち返すことが本命です。
ようするにバッターの役目は、
能動的にやってきた白球を、それまではじっと受動的に待っていて、
の前に来て、能動的に打ち返す、これが中動態の在り方です。
「彷徨える河」という映画があります。
アフリカ奥地を取材した映画です。
そこの原住民は、自然から与えられたものに反応して生活をします。
けっしてみずから積極的に行動はしません。
この原住民こそ中動態の原型だといってもよいのです