まだ父が存命のころだったから、
いまから30年ちかくまえの話である。
そのころ、よく商店街の空いた店に、
スケルトンのままで、イベント会社風な団体が乗り込んでき、
老人相手に、やれ、玉子を無料で、きょうは、なにを無料で、
と、愛想よくやけにていねいに、慈善団体のように
ふるまってくれる店舗が現れた。
これは、当時、よく流行っていた、ひとつの詐欺で、
最後に、高額なふとんを買わせる手口なのだった。
なにしろ、ほとんどスケルトンだから、
明日には、もぬけの殻ということも可能であった。
そこに父は毎日、通っていた。
わたしが、
「よしなよ、最後は、ふとんを買わさせるよ」
と父にいうと、父は歯をむきだしたような顔つきで、
「あの人たちは、そういうひとではないんだ」と怒った。
すでに、「あの人たち」と呼んだ時点で、
あ、これはすっかり洗脳されているなとおもい、
わたしは、それいじょう、父にはなにも言わなかった。
世の中は、自由社会である。
自由社会とは、それなりの義務さえおえば、たしかに自由である。
みずからの意志でみずからが自由になる、こんなしあわせなことはない。
そのアンチテーゼが全体主義イデオロギーである。
軍国主義や強権政治やヒトラーやムッソリーニの社会である。
全体主義は、たしかに、一人ひとりの自由は剥奪されるが、
なにもかんがえずに、ただ言いなりになっていればよかったので、
あんがい、それはそれで楽チンな面もあった。
欲しがりません勝つまでは、とか、贅沢は敵だ、
とか、ああいうプロバガンダのもと、
しかし、人びとは、負のベクトルではあっても、
一致団結していたのだろう。
が、社会が自由を取り戻すと、
それは、一致団結した平和と幸福を求めるのではなく、
個人の、平和と幸福を追求するようになる。
そうすることによって、個人主義は、孤立主義的な方向にはしり、
ついには、利己主義、じぶんさえよければそれでいい、
という考量に横滑りに移行してゆく。
つまり、自由を追い求めてきた近代社会は、
集団のなかにいながらも、孤立したひとたちを
再生産してゆくことになるのである。
こういう、社会のなかに混じりつつ生きていながら
その中に孤立した状態を、
「大衆離群索居」という。
世捨て人は、みずから、俗世間を離れ、極楽往生のために、
孤立する、いわば、積極的な「ひとり」なのだが、
「大衆離群索居」は、
自由と平和と幸福をねがった末の結果論であった。
幸福を追求した極北が孤立であった。
家族のなかにいても、孤独なお年寄り。
そういう、間隙をぬって、このような詐欺まがいの商売が
横行したのである。
「あの人たちは、わたしたちを歓待してくれている」
孤独を埋めてくれるように錯覚させて。
あんまり、自由すぎるとひとは孤独になり、
あんまり、強権的すぎるとひとは自由を奪われ、
あんまり、規制をゆるくすれば犯罪がふえる。
いったい、どのへんの塩梅がいいのか。
で、けっきょく、
父は最後に母のぶんあわせて二人分の布団を購入していた。