娘に子どもが生まれたので、
わたしは、祖父ということになる。
陣痛がはじまって病院に連れて行ったのが朝の六時半。
「産まれたよ」という妻のラインを読んだのが、
まだ昼まえだったので、ずいぶん順調なお産だった。
わたしは、仕事があるので、娘の出産にも立ち会えず、
そして病院で、孫娘にも対面することはなかった。
ご亭主の家族は、むこうのお父さん、お母さん、
そしてご亭主の妹さん、そして叔母さんまで、
病院で面会して、ガラス越しに寝ている初孫を
ずっと見ていたそうである。
孫ができるということに、
どんな感慨があるのか、とても喜ばしいことではあるが、
それが実感として、あるいはどうじぶんで喜んでいいのか、
とても不器用にいる。
ただ、気のおけないひとたちに、
もらった写メとか送って、祝意の返信をいただき、
「リアルおじぃちゃんだね」とか書かれると、
それはまでは、リアルではないにせよ、「おじぃちゃん」だったのかって、
しみじみおもうのである。
わたしはいつのまに加齢したのだろうか、
じつは、まったく意識にないのが不思議である。
青木という高校時代の友人が店にきて、
店の入口で立って笑っているのを見、
徘徊老人がまよって店の前で立っているのかとおもったら、
それが青木だった。
ごくまれに店に来てくれるのである。
青木が帰って、皿洗いをしている妻に
「あおき、ずいぶん老けたなぁ」っていったら、
言下に
「あなたと、かわりないわよ」とあっさり言われ、
友とはじぶんの鏡なのだということに
気づきもするのである。
そういえば、このあいだまで勤めていた
神奈川の高校では「ジィジ」と呼ばれていたから、
やはり、リアルジィジなのだろう。
今朝、娘が孫と退院するというので、
病院に迎えにいく。
「こはる」とのはじめての対面である。
病院の入口には、救急車が止まっていたが、
そのうしろにつけて、しばらく待っていると、
娘が白いちいさなドレスを身にまとった、
ものすごいちいさなものを抱えて出てきた。
車の後部座席を妻が開けると、
娘は、孫娘を抱きながら乗り込んで、
生まれて一週間の子の顔に近づけて
「こはるちゃん、ほら、おじぃちゃんだよ」
と、呼びかけた。
おじぃちゃん。
うーん、まだ、このネーミングには
なんだか慣れないじぶんがいることに、
やはりあらためて気づくのである。