電車に乗ったらマンションの宣伝が目についた。
「不動前、かむろ坂」
うん、坂に名前がついているのは
じつにうらやましい。
我が家などは、坂の中途にありながら名前がない。
うちの坂は、めずらしく下って登って、一直線。
だから子どもたちの友だちはよく写メを撮っているらしい。
坂を登りきったところに、岩下志麻さんが住んでいらっしゃる。
さて、
川にも山にも名前があるのに、どういうわけか、
坂には、名前があるほうがすくない。
オランダ坂。道玄坂。権之助坂。菊坂。
やはり趣ぶかい。
かむろ坂、いいではないか。
が、その宣伝には、「不動前、かむろ坂」という文字より、
半分くらいのちいさな文字でこう書いてあった。
「歩いてほしい、坂がある」
このキャッチコピーはどうなの?
なんだよ、脚の悪い爺さんに言ってるんじゃないんだよ。
「爺さん、歩いてほしいんだ、歩ける? ほら坂があるよ」
ね、そんなふうに聞こえないか?
だから、
「歩いてほしい、坂がある」は、
「歩いてほしい、坂である」と
ほとんどおんなじに見えるのである。
なにが、このキャッチコピーをひどくしたかというと、
読点(「、」)である。
「歩いてほしい、」
ここに読点(「、」)を挿入させてしまったことに
由来する。
たしかに読点は
現代の文体には不可欠な記号である。
わたしのかわいい、妹の人形。
わたしの、かわいい妹の人形。
これを見れば一目瞭然だが、
読点の位置によって「かわいい」の修飾場所が
ずれてくることがおわかりだろう。
でも、ここではこの記号の存在が
すべてを台無しにしている。
では、どうすればいいのか。じつに簡単である。
もっとシンプルにして、読点というめんどくさいものを捨ててしまえばいい。
それがこれ。
「歩いてほしい坂がある」
どうだろう。
このほうがはるかに
高尚で文学的でさわやかなのだ。