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音を聴け

 目が見えない動物はいても、
耳が聞こえない動物は皆無だそうだ。

 チョウチンアンコウだって、音は認知しているだろう。

動物の根源は、耳なのかもしれない。

 だから、
鳥越俊太郎が両耳補聴器という噂は、
かなり深刻なんじゃないか、とおもうのだ。


動物学的にどうなのだろうね。

癌だし、うわさじゃ、すこしボケがはいっているらしいし、
それに、他人をけなすことはできても、
じぶんの意見をいうとこができないそうだ。

ま、それはそれとして。


 じっさい、自転車に乗って両耳イヤホンっていう
馬鹿をよく見かけるけれども、
あれは、もちろん道路交通法違反であると同時に、
みずからの耳を塞いで
ほんらいなら、自転車を支配できるはずなのに、
それを放棄している、危険きわまりない馬鹿である。


ニーチェの幸福論は、たとえば、自転車に乗れなかったひとが、
ようやく乗れるようになった。

それは、自転車をみずからが支配できたからである。

そこに幸せがあり、他からのぞむものではない、
というのが、あのニヒリズムの提唱者の考えらしい。

が、両耳イヤホンは、その幸福論のアンチテーゼのようでもある。


なぜ耳があるかといえば、
外の世界を認識するためなのに、
イヤホンで音楽を聴くという行為は、
じぶんの世界に閉じこもるための装置としてあるわけで、
みずからの身体の使い方の誤用じゃなぃか。


むかし、教員をしていたことがあった。

海外研修の引率にもいった。

ユタ州である。

バスで移動したり、遊覧船に乗ったり、
プールで泳いだり、もちろん、勉強もしていたが、
その移動のときに、生徒さんは、ことごとくイヤホンで、
日本の音楽を聴いていた。


情けなかった。


若者よ。

せっかく、アメリカに来たんじゃないか、
アメリカの音や風や匂いを嗅げよ。感じろよ。

バスの窓をあけてさ。

タイタニックの映画のワンシーンみたいに、
両手をひろげて風を受けてみろよ。

なんどもそう言ったけれど、みんなイヤホンで
じっと下を向きながら音楽を聴いていた。


ばか者。


そしてバスは、大きなショッピングモールに着いた。

とにかくスケールが違いすぎる。


生徒がどかどか降りる。


と、ひとりの生徒が言った。

「先生」


「なんだ?」


「トイレどこですか?」


「・・・・」

はじめてきたとこだぞ、おれだってわかんねぇょ。

ばか。