短歌に興味のない方は、これより先は、おすすめしません。
映画「イキガミ」を観た。
あんな恐ろしい国家権力が発動されたら、
日本はどうなるのか。
で、象徴的なシーンとして「若者の死の宣告」のあとさきに、
モノレールの映像が意味なく(ほんとはあるのだが)流れる。
それも、露出をアップさせて、やけに白い映像なのだ。
そして、その映像は画面が真っ白になって消えてゆく。
この瞬間が歌にできないかとおもった。
そして、そののち歌会の締め切りまで、あと一時間。
ふみまろさんから催促のメール。
焦るぜ。
・なつぞらに白きレールはのびゆきぬ死期へとむかうひかりまといて
「なつぞら」という限定はどんなものか。映画は夏っぽかったけれど。
不要である。「ひかりまといて」もありがち。
・モノレールのレールはそらにのびてゆく明日かもしれぬ死をまといつつ
まだ、ましかもしれない。「のびてゆく」がほんとに間延びしている。
「て」という助詞もいけない。
「明日かもしれぬ」も散文的。
・モノレールのレールが空にのびるごと明日かもしれぬ死がしのびよる
「ごと」はダサイ。「死がしのびよる」徒然草じゃないんだから。
・なつぞらにしろきレールがのびるごとあすかもしれぬ死はしのびよる
「なつぞら」に戻す。が、やはり、季節を限定しないほうがいいだろう。
「死は」の「は」も限定だな。
・なつぞらへ白きレールはみちびかれモノレールという器に乗りて
ここで「みちびかれ」という語を発見する。「器」か、
河野裕子さんみたいだな。なんか、こういう語は、
そう言われる。器というと河野裕子、リテラシィの問題だけれど。
・喩えれば末期のひかり みちびかれモノレールという器はありぬ
・喩えればあまりに明るい死化粧 モノレールという器ははしる
このへんはやけくそ。ふみまろさんの至上命令が出て、
一時間での推敲だから。
・モノレールのレールは夏の空のなか明日かもしれぬ死を連れてゆく
この辺で、あと締め切りまで十分を切る。
決められない。
何とかは、何とかの中、何かを連れてどうしてゆく。
こういう構造は、単純すぎて、すらりと読み流されてしまう。
三句切れはやはり弱い。
最後の手段。二句切れ。そして「合わせ鏡」の手法である。
・死の朝は淡きひかりか みちびかれモノレールという器に乗りぬ
「みちびかれ」も活きている。これをとりあえずの最終形にする。
ちなみに、
わたしは口語短歌だから「という」を「とふ」などには
できないし、この字余りがなんともいいのだ。
舌足らずで。
ま、そののち歌会では、ふみまろさんの同情票以外は、
そんなに高い評価ではないが、一時間のうちに
これだけの推敲をしたのだ。
これはちょっとしたアクロバシィである。
でしょ。