商店街の役員のあつまりがあったようだ。
北本会館の5階に、
お歴々があつまって、
わたしが、ちょうどそこを通ったときに、
そのお歴々が、三々五々エレベータから出てきたところだった。
わたしは、役員さんとは気の置けない仲ではない。
むしろ、煙ったい存在だろう。
なぜなら、わたしはなにひとつ隠しごともしないし、
不正を見逃すことはしないからだ。
そんな言い方をすると、どこかに不正や
隠しごとがあったようにおもうかもしれないが、
そこは、口を閉ざすしかない。
武士のなんとかってやつだ。
だから、北千束西自治会の会長が、
5月にTさんになり、西自治会の会計がTさんの奥さん。
回覧板などすべて仕切っているのがTさんの義理の母のような、
なんでもありの、常識をくつがえす人選にも、
わたしは、看過しているくらい、
温厚なのである。
ぞろぞろと役員さんが出てくるなか、
最後に自転車屋さんが出てきて、
自転車に乗ろうとしたところだ。
「お疲れ様」
と、わたしは社交辞令をひとつ。
と、自転車屋さんは、「あ、しま坂さん」
と、自転車をくるりとわたしにむけて、なにかを言おうしている。
このとき、わたしは自転車屋さんに借金はない、
不法投棄をしたことがあるわけでもない、
なにか、まずいことを、かれにしたこともない、
と、ほんの数秒で、ネガティブキャンペーンに
すべて、ノーをだしながら、
「はい、なんでしょうか」
と、あいさつをした。
「うちの孫なんですがね。国語辞書」
「国語辞書?」
「あなた、執筆者になってますね」
「あ、むかしね、清水書院」
「うん、なんの本屋かしらないけれど、
孫がもらってきた国語辞書にあなたの名前がででいるんです」
「あ、そうそう書きました、辞書ね」
「いや、それだけです」
と、自転車屋は深々と頭をさげて、しずかに帰って行った。
そーか、そういえば、おれはむかし国語辞書の執筆を
手伝ったことがあった。
すっかり忘れていたのだが、
あのときは、卓上版の国語辞書をすべて机上におき、
それとは、べつの表現をすべく、
何語か、原稿を送った覚えがある。
いまでも覚えているのは、「わ」である。
「ああ、じゃ、しますわ」の「わ」である。
性差のもんだいではなく、男性でも使うときがある。
「行くわ、行くわ、しかたない」
なんてときにも使う。
しかし、このときの「わ」を説明した辞書は、
三省堂にも岩波にも角川にも小学館にもない。
清水書院の「わ」の項目には、こう付記されている。
「消極的な決意・所存をあらわす」
うん、このひとことは、わたしのオリジナルフレーズなのだ。