梁塵秘抄とは、平安末期、後白河法皇が編纂した
今様歌の歌謡集である。
今様とは75調でかたり、
「色は匂ほへど」の「いろは歌」が有名。
きょう、話題にしたいのは35番の歌。
冬は山伏修行せし、
庵とたのめし木の葉も
紅葉して
散り果てて空さびし
褥(にく)と思ひし苔にも
初霜雪降り積みて
岩間に流れ来し水も
氷しにけり
意味
冬は山伏は修行をしないものだ。
庵と思っていた木の葉も紅葉し
散ってしまってほんとうにさびしい
褥(通常は「しとね」と読む)つまり
布団としていた苔にも
初雪が降りつもり
岩間に流れてきた水も凍ってしまった
くらいのことだろう。
読点がついているのだが、この時代に
読点があったかはわからない。
後人の加筆かもしれない。
もんだいは「冬は山伏修行せし」のくだり。
濁音がないので、ひょっとすると
「修行せじ」と打ち消しになるのでは、
というお歴々のはなしもある。
じつは、「意味」としたのも打ち消しにしている。
じっさい、打ち消しでゆくと
そのあとにつづく内容もすっきりするわけで、
修行が「たずき」のような山伏でさえ、
冬には、日常の必需品も、
紅葉したり初雪が降ったり水が凍ってしまうのだから、
仕事をネグレクトするのは
必定だろう、という歌意になろう。
この「修行せし」を「修行せじ」とする説の
背中をおしているのが「冬は」の「は」である。
そもそも過去の助動詞であったら、連体形になるのはおかしい
という意見もある。
「は」という係助詞は、対象を取り立てる役目である。
「わたしは」「〇〇であります」と「わたし」を
壇上にあげて誇示するのが係助詞である。
「山伏は」と、壇上にあげて、
さ、山伏さんはどうなさるのか、と問うたところ
「冬はきびしいてので修行やめてるんですよ」と
いう歌になっていると、識者は語るのだ。
たしかに一理ある。
が、この梁塵秘抄の成立が平安期、
院政期の作品であることを考慮すると、
じつは、当時の「は」には、さほどの意味がなかった
ことをこのご説は、無視しているのである。
わたし三時にはおやつを食べけり
わたし三時におやつをば食べけり
(「を」の直後の「は」は「ば」となる)
わたしは三時におやつを食べけり
つまり「は」はどこにもちょこっと添付できる
軽い強調の助詞であったわけで、
「山伏は」の「は」にそこまで意味を与えてしまっていいのか、
という素朴な疑問がのこる。
換言すれば、あまりにも口語文法にすがった解釈ではないか、
ということである。
じっさい、「せし」の「し」過去の助動詞なら
なにゆえ連体形なのか、
もしかすると「修行せし庵」「庵」を修飾するのだろうか。
しかし、「せし」の直後の読点はなにを意味するか。
なら、「修行せじ」と「じ」にすれば、
終止形なのですっきりするという事情である。
しかし、あえて言うが、
「修行せし」を、過去の助動詞「き」の連体形としたら
どういう意味になるのか。
冬でも山伏は修行している。
庵と思っていた木の葉も紅葉し
散ってしまってほんとうにさびしい
褥(通常は「しとね」と読む)つまり
布団としていた苔にも
初雪が降りつもり
岩間に流れてきた水も凍ってしまったけれど、
山伏は日々修行なのである。
という厳寒の冬にも耐えて
精進する姿が浮かび上がってくるのだ。
では、なぜ連体形なのか、
その答えのひとつが、「は」である。
「は」という係助詞は、会話では連体形となる
つまり「係り結び」をとることがある。
梁塵秘抄も語り文芸であるなら、
とうぜん、「は」プラス連体形の係り結びがあっても
おかしくない。
つまり、「せし」の「し」を連体形にするのはおかしいから
「せじ」ではないかという説は、ここにきて、
妥当性が希釈されるのだ。
もちろん、「せじ」かもしれないけれども。
民衆のすなおな語り文芸であるなら、
「せじ」として、「修行をしないものですよ」としたほうが
自然かもしれないが、
山伏の苦行をかんがえれば「それでも修行をしているのです」
とやったほうが含みがあっておもしろいのではないか。
そして、その答えはけっきょく「謎」なのである。
なぜなら、梁塵秘抄を研究している学者が
この令和の世にあって、ほとんど存在していないのである。