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はじめてバイトに来た日に

 きょう、はじめてヒトミがバイトの見習いにきた。

 彼女は今年から大学生になる。


 冷蔵庫の扉に番号があって、一番、とか、二番とか、
来客への声かけ、皿の洗い方、手の洗い方、
ま、覚えることはこれからだ。

 きょうのパートナーは、ナナコの母だから、
教わるのにはちょうどよかった。

 彼女は、他人にはひどく優しいのだ。

 ちょうどよいはずだったのだが、
ひとつあての外れたことがあった。

 野田さんが来たのである。
それも、お知り合いの女性をつれて。

 ま、野田さんは独身だから、だれと、
どうなろうと、また、大人というより、老人だから、
どうなってもいいのであるが、
はじめてヒトミが来た日くらい、平穏に済ませたいじゃないか。



 「あのね、店のことをこの人に教わってもいいけれども、
人生の相談とかしちゃだめだよ。すぐ、
下ネタにはしるから」


 おいおい、そんなことデカイ声で言わないでよ。


 「あ、はい、わかってます」
と、ヒトミまで言うしまつ。


 「へー、わかってるねぇ」と、野田さん、
感心したようすだ。


 「そーよ」と、ナナコの母まで笑いながら言った。
「うちの娘だって、お父さんには相談しないもの」


 「あ、そーだ、この間のときも
お前にはなんか相談したけれども、おれにはなかったな」


 「うん、いいんじゃないってお父さんが言っても、
そうかなってならないとおもうよ。あたしなら、
そうね、でも、こうしたほうがいいんじゃないとか言うから」


 この会話を野田さんも野田さんの彼女も、
またノゾミまでもが、大笑いした。


 たしかに、もう上の娘は30にもなるが、
おれに人生の相談をしたことは皆無である。

 下の娘も、兄も、わたしと人生や、生きる道や、
仕事上の問題や、友人関係におよぶまで、
相談されたことがない、ということに
いまさらながらに気づくのである。


社会学的に「父」というのは、権威の象徴だし、
社会は「父」を要請している。

 
なぜなら、わたしたちは「世界には秩序の制定者などいない」
という「真実」に容易には耐えることができないからである。

(内田樹「邪悪なものの鎮め方」より)


 世界に一気に正義を実現し、普遍的な秩序をもたらそうとする運動は、
必ず「父」を要請する。(「同書」)


 なんてむつかしいことを言ってもしかたないけれども、
要は、世界でも、家庭においても「父」は要請されるものなのだ。


 うーん、わたしはだれからも相談を受けたことがない存在なのだ。

なんだか、それはどうなのだろうと、
いまになっておもうのだ。

 と、いうことを野田さんに相談してもはじまりっこない。