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35年

 「ね。覚えてます?」

 店に大学生風の息子さんをつれてきた 女性が、

にこやかに話しかけてきた。


 よく見ると、そーだ、大学時代のおなじゼミの・・えっと。

 「あ、みー子だ」


 「そー、そー、よかったぁ」
と、みー子は軽く手をたたいた。

 「ひさしぶり、わざわざ来てくれたの」

 「そうよ、元気そうね」

 「うん、元気、元気、たしか、神奈川に転居されて」

 「うん、大倉山、ここまでわりに近いのね」


 「そうだよ、急行ならすぐ」

 みー子とは、卒業以来会っていないから、
35年ぶりくらいじゃないだろうか。

 そんな長い時間がすでに経っているのである。

 「ねぇ、覚えてる?  みー子がさ、風邪ひいて、おれ、
みー子の残した缶コーヒーもらったら、
その次の日から高熱が出て、うつったんだよ風邪」
 
 わたしは、息子がいるのにもかかわらず
ずけずけと訊いてしまった。


 「え、覚えていない」


 「たしか、ゼミ旅行だったとおもうよ。忘れたか?」

 「うん、ね、くも君(ほんとはここは本名)さ、ゼミ室で、
ひとりだけ珈琲、いれて飲んでたよね。みんな、そんなこと
できなくて」

 「うっそー、知らない、知らない」

 「覚えていないの?」

 「まったく覚えていない」

 「あら、ゼミ旅行、京都だったでしょ、おいしいところ連れてゆくって、
それでみんなを案内してくれたところが、不二家よ」

 「え。そうだっけ。覚えていない、そんなことしたっけな。

あ、そういえば、おれさ、 みー子んちに行って、なんかむつかしいパズルをといたことあったよ」

 「あら、そうだったかしら」


 35年以上も経ってしまうと、
ふたりとも、トリビアルなことだけを個別に覚えはいるが、
共通する思い出というものが、ほとんどないことに
気づかされるのだ。


 わたしは、大学時代、
臆面もなく、堂々と珈琲をひとりいれていたなんて、
そんな度胸があったものか、
むしろ、そうやって聞いてみると、
知らないじぶんに会ったような気もするが、
同時にすこしおもはゆい気もしてくる。


 「元木、校長になったらしいよ」

 「え。あの元木君が」

 「そう。いつも、おれがゼミ長で決めたこと、
あとから、呼び出して、ああでもない、こうでもない、と、
影でおれにこそこそ言っていたろ。キライだったよ。
なら、あそこで言えよ、な」


 「そうそう、あったね、そういうひとが校長になるのね」

 「いまごろ、嫌われているよ、きっと」


 35年ぶりの再会で、共通した話題は、
北海道で教員をしている、いやな奴の話だけだった。