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災難

まだ、わたしが横浜の高校に勤めていたころの話だ。

 日帰りの遠足があった。
わたしのクラスはB組だったような記憶がある。

 バス10台を連ねての某ランドの帰り。
すでに、夕方5時ちかくになっている。

 学校の坂の下にバスが止まり、
さて、さいごの担任からの注意である。

 マイクで男子生徒53人にしゃべるのは、
そのときは、まだ若くてそんなに得意ではなかった。

 「いいか、家に帰るまでが遠足の一貫だから、
寄り道するなよ、わかったな。それでは解散」

 わたしはそういうとさっとバスから降りようとした。

 なにしろ、これから担任だけの打ち上げがあるからだ。
横浜駅の地下の寿司屋で、
ものすごいマグロのカマを用意してあるというのだ。
 頭はカマでいっぱいである。

 わたしがバスから降りようとしたそのとき。

 たしかになにか、水をこぼしたような、
あるいは、なにかを撒いたような聞き覚えのある音がしたのだ。


 「先生! タケウチが吐いた」

 バスのなかでタケウチは我慢していたのだろう、
高校一年にもなって、しかし、バスで吐くなんて。


 「もう遠足はおわったんだ、お前らで処分しろ」

 わたしは、そう行ってバスを降りた。
いまからおもえば、ずいぶん無責任な担任だ。

 しかし、カマには勝てないだろう。

 「待て、それでも担任か!」

 バスのうしろから、おんなじ野球部の飯島の声。

 「うるさい」

 わたしは、やつらを見捨てたのだ。


 小雨のそぼ降る中、わたしはそそくさと駅に急いだ。
横浜までは、30分かかる。

 振り向くと、タケウチと飯島とそのほかのやつらが
かれの学ランを拭きながらトボトボ歩いているのが、
遠くにみえる。

 知らねぇや、わたしはさっさと歩いて行った。


 そのあと、かれらがどうなったか知らない。なにしろカマが待っているから。


 翌日。職員室にタケウチのお母さんという方が見えた。


 「じつは、うちの息子、あのあと車に轢かれまして」

 「え、知りませんでした」

 ゲロを拭きながら傘をさして、背中を丸めながら歩いていたので、
左折してきた車が気付かなかったらしい。

 「はい、鴨居病院に搬送されたんですが、さいわい、
車のボンネットに乗っかっただけで傷はなかったんです」

 「そうだったんです、すみません、知りませんで」


 「いえ、息子はもう教室におりますので、よろしくお願いいたします」

 「は、はい」

 わたしは、すこし青くなっていた。いまの言葉でビビったのだ。
 監督不行き届きとも言われそうな事故だったが、
怪我ゼロというお母さんの言葉にわたしは救われた。

 わたしが、朝のホームルームにいくと、
タケウチ君、教室の真ん中にちょこんと座っていた。

 「タケウチぃ、だいじょうぶか、大変だったな」

 「はい、でも大丈夫です」

 わたしは、どうやってタケウチをねぎらうか、
ま、わかんないからいいやって、わたしはこう言ったのだ。


 「な、タケウチ。踏んだり蹴ったりってあるけど、
おまえ、吐いたり、轢かれたりだな」