片思いの相手を本気にさせる方策があるらしい。
これは、聞いた話なので、その真意はわからないが、
なかなか説得性のあるものである。
本田路津子の「風がはこぶもの」では、
♪ 風のなかにきっとわたしの声がする
・・いつもわたしは愛のおもいを
風の中に告げているのよ ♪
なんてあって、自然に託すのである。
わたしのような繊細なやつなら、この風の音を聞きつけて、
すぐ、そっちに走るだろうが、みなの衆そうはゆくまい。
では、それはどういうミッションか。
えって驚くプレゼントをするのでもなく、
ひとの手を借りて裏工作するのでもなく、
おもいきり白状するのでもない。
ぎゃくに、おもいのひとに無理な頼みごとをするのである。
ここが急所なのだ。
「ね、いちど食事に誘ってくださらない」
これでいい。
相手は、しぶしぶながら行くだろう。
「ふざんけな、このブス」
こう言われたら、ここでミッション終了なのであきらめましょう。
ま、行くわな。で、そのとき、できれば、法外な値段の店にゆく。
そして、相手に、その法外な金銭をすべて払わさせるわけだ。
このとき、
「ふざけんな、てめぇが誘ったんだろ、このブス」
って言われたら、ミッション終了。あきらめましょう。
ま、払うわな。そして、丁寧な挨拶をして別れる。
これが、すべてのしかけである。
で、これがなんで、相手がこちらを向くことになるのか。
それを心理学では、学究的に証明しているのである。
つまり、なんにも関係のない相手に、
じぶんは、おもいもよらない出費をさせられた。
なぜなのか、なぜ、なんにもおもいもない他人に、
わたしはここまでやらなければならないのか。
まてよ、わたしの胸のうちに、あのひとを大切にしようという気持ちが
あったのではないか、そうじゃなければ、
わたしは、あんな痛手をこうむるはずがない、
と、無理やり、整合性をみずからにもとめるというのだ。
じぶんが、つらい目をあわされたのは、きっと、
あのひとに好意があるからに違いない、そうおもうらしい。
これを専門的に「認知的不協和」という。
じぶんの心の不協和、つまり「よくわからない金を払わされた」という
不快を、「愛するものへの奉仕」とシフトすることによって、
みずからの精神的安定を、みずからで構築するわけだ。
これは、吊り橋効果とよく似た現象である。
吊り橋の前のどきどき感を知らぬうちに、
横にいる異性への興奮と勘違いする、あれである。
ジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷に行ったり、
肝試しなどは、吊り橋効果の発揮される現場である。
相手に頼みごとをする。これは、高額な依頼でなくてもいいらしい。
「ね、この荷物、あそこにあげてくださらない」
こんな、ことでも、認知的不協和は発生するらしい。
恋人に欠落しているひとはぜひ試してほしいな。
で、相手がすこしでも、こちらに気があるようであるなら、
そこで、ダメ押しである。
「あなたといると、なんか安心する」
こんなこと言えば、もう「大当たり」だろう。
「ねぇ、どうかしら、わたし。ブスだけど」