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 「旅」にもさまざまな要素がある。

 芭蕉のような漂泊の旅。しかし、あれは、なにかダブルミーニングがあって、
たとえば、隠密であったとか、忍者だったとか、
まだ、語り明かされない領域がありそうだ。


 じぶん探しの旅というものもある。
はじめての地に降り立ち、その風景と対峙して、
じぶんの小ささや、わき立つじぶんの心を含む風景を、
その風景に押し込めて、それをすこし遠いところから眺めている、
いわゆる「自己意識」を、その地で味わっている。
言い換えれば、
感動しているじぶんを他所から感動して見ようとしている、など。


 東急ハンズの買い物なども、じぶんさがしの旅である。
と、いっきに景気悪い話なのだが、
東急ハンズに行くには、なんの目的もなく行くのがいい。

 ふらふらと商品を眺めるだけである。

と、たまに、あ、これ便利そうじゃなぃか。
しらなかった。うん、これ、うちのあの部屋にこうやって使ったら
いいんじゃないの。と、

 しらない商品と出会い、それをじぶんのスケールに
当てはめてみる、という幸福感である。

 これがじぶん探しである。
こういうじぶん探しには、ささやかな想像力が必要である。


 また、男と女とはちがう旅をする。

 と、これも男と女と簡単に分けるでない、
それは、あんたの偏見だ、なんて言われそうだが、
ご勘弁。


 男は、過去をひきずって旅をすることが苦手である。
微細な想像力さえ使わなくてもいいからである。


が、女(これは、わたしの知っているかぎりという注がつく)は、
過去を旅する。

 それも、過去に染み付いている創痕を
ひとつひとつ紡ぐ旅をする。

 あなたは、昔、こういうことしたでしょ、
あれも、あれも、おばさまも言っていたよ、じぶん勝手にさ。

 ま、こんな具合でひとに言ってくる。
男は、言われたことに覚えもあるが、忘れていることもある。

 男は、女の「過去への漂泊」についてゆく気がしない。
だから、その旅の模様を聞くたびに、すこぶる昏い気持ちが残留する。

 こういう女の旅は、呪いである。

 なんども、もうしあげるが、そういう女ばかりではないんですよ。
でも、そういう女もいるのである。

 呪いはとけることがない。呪いをとくためには、
未来というカンフル剤がなければならない。

 あなたはこういうことをしてきたのだから、
これからは、こういうふうにしたらいいんじゃないの。
わたしも協力するから。


 これが、処方箋である。
ま、すくなくとも、わたしはこういうことを身近な女性から
言われたことは皆無である。

 
 永井真理子の「ZUTTO」という歌があった。

 ♪ふたりはちがう人間だから、いっしょにいられるの♪

 えらいなー、よくそんなことが言えるな。
呪われるぞ、いいのか。


 男は、その先がどうなろうと、未来に旅する。
過去と他人は変えられないけれども、
じぶんと未来は変えられるかもしれない、
そう、とても甘い根性で旅をする。

 ちょうど、宝くじを買うのと似ている。
当たらないくせに買い続けるのである。


 よく言えば、ロマンチスト、悪く言えば、馬鹿である。


 じゃ、女の馬鹿と男の馬鹿と、どっちを選びますか、
という、究極の選択があったら、わたしは後者を選ぶ。

 やはり、先を見て旅をするのだ。
そこに、しらないじぶんがいるかもしれないじゃなぃか。


 日々旅をし旅を栖とす、と言った芭蕉は
はたして、男女の旅をどうおもったのだろうか。

 そうか、芭蕉は男好きだったかな。