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呆けではない

 むかしの話だが、
職員室でわたしをふくめて三人で立ち話。

 そのとき、わたしが、さいきん人の名前がわからなくて、
なんて話から、そういえば、あの俳優なんだっけ。

 ほらほら、酒を飲むと強くなる、そ、あれ、あれよ。
酒飲んだらカンフーが強くなるひと、えっと。

 と、そこまでは、ただのボケだったのだが、
つぎのセリフが決定的だった。

 ほら、ジャッキーチェンじゃなくてさ。


 この発問のもっとも致命的なのは、
まさに、回答である人名を否定したところから
始まったところである。

 相対性理論はアインシュタインでなくて、
ではだれでしょう。

 と、おんなじことである。

 「美しい日本のわたし」といったのは
川端ではなくて、ま、これとおんなじだ。

 だから、男三人文殊の知恵、うーんと、唸りながら、
「え、ブルースリー?」

「ちがうでしょ、それアチョーじゃん」

 この悲喜劇的なループはエンエンつづいた。

 で、けっきょく「そーだ。ジャッキーチェンだ」と
答えに逢着するのに、数十分かかったというお話。

 これはきっとボケの兆候だったのだろう。

 あれから20年。

 携帯はなくすわ、出てこないわ、
人の名前は忘れるわ、歯医者の予約も忘れるわ、
どうだ、すごいだろ。


 ま、もっとたいへんな話をきいたことがある。

 渋谷で女学校時代の友人に40年ぶりにばったり
あった方がいた。

「あら、久しぶり。どうしてここに」

 「なに言ってんのよ、
きょう、あんたとここで待ち合わせしたんでしょ」

うん、ここまで、おれはひどくはないとおもう。

 また、こんな話もある。

 人の名前を覚えられないとか、忘れるというのは、
ボケではないらしい。

 加齢すると、さまざまな情報が過多に入り込んでくるので、
頭が混乱するのだという。 

 それは、痴呆ではなく、ただの情報をインプットしすぎた
状態だということである。

 それを聞いて、その人は、すこぶる嬉しくなって、
それをかれの妻に話したそうだ。

「おい、それってボケじゃなくて、情報の取り込みすぎらしいぞ」

と、妻は、すこし困った顔をしてかれに言った。

「その話、わたしがあなたにしたのよ」