子どものころは脂性だったので、よく手に汗をかいた。
だから、フォークダンスがきらいだった。
オクラホマミクサーのときなんぞ、
お相手の女子は、わたしの番が終わると、
ごしごし手を拭いていた。
それは、まだ純真な少年の心に瑕として残った。
が、いつのまにか、手はさらさらになって、いまじゃ、
紙を配るときなぞひどく困っている。
前にも書いたが、だんだん燃えやすくなっているのだろう。
にんげんも、セミみたいに死期がわかっていて、
なるべく世間様にご迷惑のかからないような
構造になっているのだとおもう。
あんまりむかしを振り返るのは好きじゃないけれども、
いろいろなものを捨ててきた。
30歳になる前に、タバコを捨てた。
灰皿も捨てた。
タバコをやめてはじめてわかったことは、タバコを吸っていたのではなく、
タバコに吸われていた、ということだ。
出がけに、えっと、タバコは、えっとライターは、
と、身体をとんとん叩きながら、確認する、そんなことをしなくてよくなった。
これは、タバコの呪縛である。
ようするに、わたしはそのとき開放された、そうおもった。
これは、健康のことよりも、精神的な開放感が
わたしを幸福にさせた。
40を過ぎて、櫛を捨てた。
わたしの髪は、やわらかく癖のない細い髪だった。
風が吹くと、トトロのさつきのように髪がなびいた。
だから、その素敵なつややかなささやかなものは、
しだいに消滅の一途をたどったのである。
ユイに「お父さん、遠くからでもわかる」と言われた。
「頭に、穴あいている」とも。
もっと簡単に言えば、二文字で言えるのだが、
娘は、そうは言わなかった。
50半ばで、仕事を捨てた。
天職かとおもった教員をやめたのだ。
じぶんではかなり優れた教師だとおもっていた。
先輩の先生でも、後輩でも、そのひとから
なにひとつ教わったことがなかったのは、まわりに
わたしより、ものを知っているものがいなかったからだ。
わたしの周りにかぎってのことかもしれないが、
「切れ者」はいなかったのである。
そのせいなのか、わたしは、いつものけものにされていた。
能力の問題ではなく、性格的なものかもしれないけれども。
じぶんのまわりのものを削ってひとは生きている。
しだに身軽になろうとしているのだ。
いま、机にすわり、こうしてパソコンを打っているが、
じつは、わが部屋には無数の本が並んでいる。
ホンテッドマンションの途中にある本棚みたいである。
これはゴーストライターたちの本なのです、みたいなところ。
還暦を迎えるまでに、この本を処分しようかとおもっている。
故事類苑、大漢和辞典、日本古典全集、各種総索引、
日葡辞書、九種節用集、国書総目録、国歌大観などなど。
売れば、足元見られて二束三文だろうが、もう、使わないとおもう。
本に囲まれている、というのが幸福論だった若い頃は、
もうすでに過去となっている。
だいたい、本をめくるのも手が滑ってめくり難いのだ。