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零度

ロラン・バルトというひとが、
ある制度が生成した瞬間のことを「零度」と名づけた。

だいたい、歴史は生成した瞬間から、
審問され、バイアスがかけられ、その起源には
なかなか立ち戻れないものだ。

 第二次世界大戦がなんで起きたか、
というよりも、敗戦国がどうすべきかとか、
戦後の日本は、なんて、世界大戦の零度よりも
そのあとの文脈に重きをおくものだ。

 その点、アメリカという国は、
たいしたものである。

 オバマ大統領の就任演説でも、
建国の精神を語り、民衆をおおいに発揚させた。

 つまり、アメリカ国民は、
この国がなんで存在しているのか、
その意味をひとりひとりが内在している。
骨肉化しているのである。


 だって、二百年前くらいに、
われわれはこうしようって作った国じゃないか。

 だから、すぐ建国の精神に戻れる。

これは、便利ですよ。

 胸に手を置き、斜め四十五度の空に向かって
合衆国国歌をたからかに歌い上げれば、
すぐ、ナショナルアイデンティティが発動し、
「よし、おれたちはがんばるぞ」みたいな気になれるのだ。
ようするに、
アメリカの開拓史の「零度」にすぐ回帰できる回路を、
かれらは持ち合わせている。

♪Oh, say can you see,by the dawn’s early light


 一発で効く。零度だ。

そのときの、合衆国国民は、
ベトナム戦争を忘れ、
エノラゲイの原爆投下をネグレクトし、
ケネディの暗殺を無視し、
イラク戦争の犠牲も顧みず、

ただ、ひたすら建国の「あの時」に戻っている。




 こんなふうに、国民意識が構造化されていては、
いざ、スポーツでの一騎打ち、というとき、
いかに、これが有利に働くことか。

 その点、日本は、なんでこの国があるのか、
それを知っているひとがいないので、
そして、それはだれにもわからない。

 気づいたら、ここにいる、みたいな国民で、
はなはだだら~んとした国歌を歌っても、
国家生成の零度になんか戻れるはずはないし、
いつもどこかに被害者意識と諸外国への劣等意識を
抱えながら、裏声で「君があよ~」なんてやってもな。




うーん。


やっぱり、勝てるわけないじゃないか。


スポーツも、戦争も、政治も。

 

二伸

 

しかし、さいきんは野球でもボクシングでもバレーボールでも

日本が強い。これは例外的な状況だ。

エチオピアがマラソンで強かったように、

それは、日本が三流国に落ち込んだということなのかもしれない。