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原始回帰の必要性

 時代劇を見ていると、ものすごい殺気だ、

なんてせりふがよくでてくる。

さいきん、殺気を感じるひとというのは聞いたことがない、皆無だ。

 

むかしは、事実、殺気を感じる能力があったのだろう。

世の中が物騒だったから、

じぶんのことはおのずじぶんで守ろうとする

本能がいやがうえにも働いていたにちがいない。

 

それにひきかえ、いまの世の中は安穏とした

生活にすっかり防衛本能は退化して、

おやじたちの体脂肪のなかにひっそり眠ってしまっている。

だから、親父狩りで、あっという間にやられてしまうのだ。

 

 高度文明がもたらした弊害のひとつに、

ひとの本能の退化があげられる。

防衛本能しかり、種族保存の本能しかりである。

 

出生率が、一・三○以下まで落ち込んできたという日本の事情は、

種族保存の本能がすり切れてきたことにほかならない。

人間が動物である以上、種を保とうとする命令が脳からでるはずなのだが、

セクハラとか、いろいろな言葉のガードもともない、

すっかり、原初的動物機能はうすれてしまった。

二・二七の出生率がなければ、人口は減り続けるらしいから、

このまま日本が歩み続けると、西暦二三〇〇年には、

日本人はひとりかふたりになるという計算がでている。

 

本能が働けば、コンピュータの計算を待たずに

しぜん夫婦は子どもを産みつづけるはずなのに。

パンダが子育てのへたな事情は、あ

のでかい体で子どもをあやまって踏んでしまったり

つぶしてしまったりするからなのだ。

動物のなかでもとりわけ本能的部位の

欠如した生き物なのだ。

だから、絶滅の危機をむかえるという簡単な方程式である。

 

本能の退化は、じつは世の母親にもあてはまり、

母性本能もうすらいでいる。

子どもとうまくスキンシップがとれていないのだ、

パンダみたいに。スキンシップがとれていない子は、

母の体温を知らないから、他人との膚の接触を苦手とする。

たとえば銭湯に行けない、とか、満員電車が苦手とか、

おしくらまんじゅうなどしたことがないとか。

 

他人と共有のできない子が増えているのは事実で、

その原因がスキンシップのたりなさにあるのは

「ていうか症候群」で述べたことだから、ここではふれないが、

現代社会のなかにとけ込めない子を作り上げてきたのは、

とりもなおさず、高度文明であったというアイロニーは、

われわれの大きな課題となるであろう。

文明は便利なだけではだめなのだ。

 

このままだと高度文明はおおきなジレンマにはさまれて

二進も三進もゆかない袋小路にはいってしまうだろう。

しかし、本能はけっして衰退したわけでなく、

DNAレベルで存在しているはずだから、

それを増幅させるのも可能なはずだ。我われは我われじしん、

積極的な強い意思をもって原始回帰させる努力をしなくてはならないのである。

 

さいきん、釣りに行っても大物が釣れない。

これはひょっとすると狩猟本能が

わたしにかけているからなのかもしれない。