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常套句

 じぶんのことを平気で

「先生は」とおっしゃるかたがいる。

あれが苦手だ。なんか偉そうだし、

ナルシスの水仙の花のにおいがして。

 

たぶん、じぶんで「先生」と呼んで教師であることを

そのつど確認しているんだろう。

そして、陶酔するのだ。いよいよ自慰行為だ。

 

それから、話の合間あいまに「わかりますか」と

たずねるかたもいる。あれも苦手だ。

 

授業中、教壇に立っていちいち「わかる?」なんて訊かれると、

生徒はずいぶん馬鹿にされたような気になるんじゃないか。

わたしなんかも「わかります?」と訊かれると、

わかります、とはどういう意味ですか、

つまりこちらに理解力がたりなくてあなたの文脈、

コンテンツがわたしに通じていないかもしれないから、

そうやっていちいち確認されているということなのですか、

それともあなたの能力がひどく優れていることを

わたしが理解していないから、

あなたを尊敬しろということですか、

など言いたくなってしまう。

が、平和主義のわたしは、そんなこと言えずに、ただにこにこしているが。

 

「知ってる? 知ってる?」なんて話をもちだすひともいる。

何をだよ、目的語がないのだから知るわけないだろ

、と言いたくもなる、

が、よく考えれば「知ってる? 知ってる?」と

「聞いて、聞いて」と同義であると了解すれば

事情は氷解する。

もっといえば、「知ってる? 知ってる?」と

「ちょっとニュース、ニュース」と同じであると

思えば肩に力もはいらない。

つまり、これらの語はすべて

挨拶語とほとんど同じ感動詞なのだ。

常套句なのである。

 

 カラオケをしているときなども、

じぶんで選曲したんだから、

そのイントロが流れれば、

じぶんの出番であることはすぐわかるはずである。

だいいち、順番で曲を入れているんだから、

次がじぶんの曲であるなんてとうにわかっているのである。

が、イントロが流れ始めてやや間のあく時間がある。

え、これ誰がいれた曲、とみんなが一瞬みんなを見回す間である。

そのとき、あ、そういえばこれわたしがいれた曲でした、

なんていまさら気づいたようなふりをして、

「あ。わたしだ」なんてマイクをそそくさと持つひとがいる。

あの「あ。わたしだ」も決まり文句だね。

あれは、「わたしだ」という確認でもなければ、

気づきでもない。

いいですか、これからわたしが歌うんだから、

よく聴いていてよ、という牽制、自己アピールにほかならかったのである。

 

ところで、常套句といえば、廊下のむこうに先生が見えた。

ほとんどの生徒は言う。

「来た。来た」

この語には主語がないし、必ず二回繰り返す。

ようするに「来た来た」で一語なのだ。

これはのちのちの現代語辞典にぜひ項目立てて

取りあげてもらいたい一語である。

 

【来た来た】生徒が教室に来る教師を目撃したときに発することば。感動詞。ただし、歓迎の意はない。