いまから50年前、わたしはかわいい小学生だった。
その小学校もそろそろ90周年を迎える。
隔世の感だね。50年前の記憶だが、
いまでも鮮明に覚えていることの一つとして
校長先生の算数の授業がある。
石川校長先生は六年生の教室にいらして、
和算を教えてくださった。
江戸時代の数学者、関孝和を紹介され、算木のはなしや三角形のはなしをされた。
なかでも、三角形の授業はおもしろく、
直角三角形の各辺を一辺とする正方形を書く。
いちばんおおきな四角形が、残りのふたつの四角形の面積と
ちょうど同じであることを補助線をひきながら証明された、
そのときに石川先生は、この関孝和の発見は
ピタゴラスの定理とまったく同じものです、
日本にもピタゴラスのようなひとがいたんです、
と授業を結ばれた。それを聞いて、
わたしは子供ながらにすっかり感心して、
家でなんどもノートを見たり、
もういちど自分で図を書いたりしてみたものだ。
ともかく日本人はエライ、
雷が電気であることを発見したのはフランクリン、
一八世紀のさいしょのころの人である。
凧をあげてフランクリンはこのことを証明したのだが、
じつはそれより五〇年も前に日本には、
雷電という相撲取りがいた。雷電、雷は電気だ、どうだ。
はなしをもとにもどそう。いまからおもえば、
担任の先生がいらしたのだから、
山際先生という先生だったが、
先生にも予定というものがあっただろうに、
また、校長先生御みずから授業されるというのも、
よほど情熱のある方だったのだろう。
わたしの現在知っているかぎりのエライ先生方は
ひとしく授業がいやでいやでたまらない方ばかりなのに。
三五年を経たいまでも石川先生の
授業をはっきりと映像で再現できる、
あれが、ほんとうのゆとり教育なのではなかったのだろうか。
がつがつした授業をはなれ、
なにか目新しいものにとりくむ、
それがゆとりだ、とおもわれがちだし、
国もそれを望んでいるらしい。
が、じつは、学問を深く掘り下げ子供に教えるということ、
考えるという人間がやらなくてはならない根本的な行為こそが。
ゆとり教育、ことばが先走りして、
じつはそのへんの事情がわかっていない
教育者がいるような気がしてならない。
仄聞するところ、つい最近まで石川先生は、
日々テニスをしていらっしゃるという。