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必殺シリーズ

 必殺シリーズという番組が終わって

何年くらいになるだろう。

のしくみとはいかなるものかといえば、

富豪や代官クラスの役人などの中間層より

やや高い地位のものから、トラウマになるくらい、

あるいは、生死にかかわるくらい、

ひどくしいたげられた町民、それも一個人にかぎるのだが、

そのひとの恨みを、殺しという行為ではらす民間団体で、ある一定料金を支払えば、確実にそのしごとをはたしてくれる組織である。

見ていて小気味がいいのは、

悪人が確実に処罰されること、

ようするに勧善懲悪の残酷な人情ドラマであるからなのである。

 

たとえば、極悪人が大枚払って

大岡越前の暗殺を依頼し、

みごと成功するといったドラマであったら、視

聴者は見たあとすっかりがっかりしてしまうだろうから、

いろいろ必殺シリーズにも規定があったのだ。

その規定とはつまりこうだ。

 

一、依頼人は悪の権力による被害者であること。

二、依頼人には何両といったふだんじゃ

払えないような大金を払わなければならないこと。

ようするに金銭的負担を被害者に与えさせるということ。

三、そしてこれがカンジンなのだが、

仕事人はあくまで、私刑であること。

 

この私刑という箇所がすこぶる急所なのであって、

国の政治腐敗を民間団体が払拭するという

図式こそ、痛快さをかもしだすエネルギーとなっているのである。

 

 だれしも、腹の立つことはあって、

それが、まかり通っている世の中を

すくなからずとも経験しているわけで、

なんとかして、その悪玉をこらしめる方策はないかと

思案するものだが、

つまり、私刑を考えるわけである。

が、現在の日本国において私刑は断じて許されないことで、

私刑を許せば、日本国の否定に、

あるいはアナーキーな思想におちいるはめとなる。

われわれが悪を倒さんがためにおこなった行動が、

ひいては国の存続を危ぶめることにつながるという事情は、

大日本史の編纂が江戸幕府を倒すひきがねに

なったのとおんなじ国家的アイロニーの具現となる。

だから、けっしておこなってはいけないのが、

個人が個人を懲らしめるという行動、私刑なのである。

 

 話はずいぶん古くなってしまって、

死刑判決がおりてしまったのであるが、

大阪で、小学生などを八人も殺傷した極悪犯人に対し、

当時、精神鑑定が待たれているところ、

すでにマスコミは実名入りでおまけに顔の映像まで

報道していた。そのときの風潮は、

このマスコミの実名報道の英断を一部だったかもしれないが、

では評価していたように記憶する。

つまり、犯人に対するいわゆる報復手段

であって、これこそが国民感情の反映であると。

国の判断を待たずに、さっさと報道してしまったマスコミに

ちょっとでも小気味よさをわれわれがもったのかもしれない。

が、それこそ、民間の手になるこらしめであり、

私刑であり、必殺シリーズの図式がいままさに

実地でおこなわれていることなのである。

 

わたしが懸念するのは、

マスコミにそんな力をもたせていいのか、

ということである。