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自尊心と羞恥心

 電車に乗ろうとした瞬間ドアが閉まる、

よく見かける光景だ。

あのときの人間の行動はほとんどおなじ、

へんにすましている。おお、残念、もう少しで乗れたのに、

ガッデム、両手を広げ首をちょっとかしげる、

そんな欧米人のジェスチャーなんかするひとはいない。

 

へんにすましたひとの表情はみんなうす笑い、

それものっぺりとした笑みをうかべている。

恥ずかしいんだね、きっと。恥ずかしいけれど、

表情だけは、いいや、わたしはべつにこの電車には

乗るつもりはなかったんですがね、

たまたま、乗ろうかとおもったことも確かに事実ですが、

でもやはり、乗らなくてもよかったんですよ。

じつはね、と語っている。

他人に対する示威行為である。示威行為であるいじょう、

そこにはすくなからず、そのひとのプライドが動き出している。

つまり、恥ずかしさからうまれるプライドというものがあるのだ。

恥ずかしさという心の信号からプライドのスイッチがはいって、

恥ずかしさの隠ぺい工作、へんにすました行動となって表出される。

 

 そもそもプライド、自尊心には段階、

種類がある。浄土にも段階があるのとおなじだ

。極楽浄土は、上品(じょうぼんと読む)中品(ちゅうぼんと読む)

下品(げぼんと読むくらいもうわかるだろう)の三段階あって、

そのなかがまた、三段階に分かれるので、

つごう9段階に区分される。九品仏なんて駅もある。

それとおなじく自尊心も人間の心のどこかに

刺激され触発されてわき出てくるものだが、

その心の部位によって、悪玉自尊心や良性自尊心など、

いろいろのプライド、自尊心の区別があって、つぎにそれが行動となってあらわれる。

 

 土台のしっかりした、じぶんに自身のある人間の

崇高な自尊心からにじみでるオーラや行動はすっきりしている。

嫌みがなく、スマートでかっこいい。

イチロー選手、彼の一挙手一投足、かっこいいじゃないか、

あれは、良性自尊心の表出なのだよ。

ところが、どろどろの羞恥心、じぶんの才能のなさがばれるのを

おそれるという危惧からうまれる羞恥心、

山月記の李徴とそっくりだけど、

そこからゆすぶられた自尊心こそ、悪玉自尊心なので、

行動も異様である。ひとにやけに冷たくあたってみたり、

ひどく高圧的だったり、怒鳴ってみたり、

罵倒したり、あるいは、なにも結論のないくせにうす笑いをうかべていたり。

うす笑いをうかべているひとの多くは才能がないとおもってまちがいないね。

 

コミュニケーションの対義語がコントロールである。

ひととの会話が成立しなくなると、じぶんの意見に服従させたくなるひとがいる。

これがコントロールであって、そこに悪玉自尊心が芽生えているのだ。

 

 ひとには得意分野と不得意分野がある。

得意分野の自尊心、不得意分野の自尊心、

それぞれを具有している。

どっちの分野の自尊心の現れかを、

われわれは他人とのつきあいでも悟ってゆく必要がある。

見分け方は簡単だ、その人の笑い方をみればよい。