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ゆとり

 円周率が三になってしまった時代があった。びっくりだ。

あの中途半端な、文字どおり割りきれない三・一四がよかった。

円の面積がきちっとした整数にならない感覚っていうのが

大切だったのではないか。

数学あるいは算数でなんとなくって感覚は必要だよ。

答えのまえに、やく、とかつけるなんとなく、ではなく、

小数点でもってまだまだこのさきえんえんつづくんですよ、

というなんとなく、これが肝心だ。

数学には解決できない領域があることを子どものころに学ぶことは、

いっぱい矛盾をかかえた大人社会への免疫となる。

世の中、そんなにきれいに割りきれないんだよって。

そんな小数点の歯がゆさも中学に入ってπを習得することによって

溜飲が下がるんじゃないか。

すべてのもやもやがいっきに氷解するのだ。

記号は便利だな、世間のはんざつなできごとや

縦横無尽にからまった問題もひょっとすると

記号に置き換えてみれば解決するかもしれない、

なんて考えつく中学生が誕生するかもしれないじゃないか。

 

 このような小数点のかけ算という脳の負担を

とりはらうことがゆとり教育である。

「どうせ中学でπを学ぶのだからπのかわりに三に置き換えただけで、

けっして教育的レベル低下にはならない」と教育長の先生はおっしゃっていたが、

三はπとちがって自然数だからな、

πと三をおなじにみるのは乱暴、

早計な判断じゃないだろうか。

だって円の面積が四角になっちゃうんだよ。

台形の面積も教えないらしい。

ま、わたしは日常生活、台形の面積をはかったことはついぞなかったが、

これからの子どもたちは計算すらできないのだ。

ということは、わたしは将来ものしりじいさんになれるかもしれない。

そーか、台形の面積を知らないのか、よしよしわたしが教えてあげよう。

ガウスになったみたい。

 

 ゆとり教育とはどういうものか、

私見だが、ゆとり教育とは全国的に馬鹿を作ろうとしているのだ。

なぜなら馬鹿はものの痛みがわからないから。

れから先、日本の将来を考えても景気の悪いはなしばかりだろうから、

そのときになるべくつらく感じないように、文句がでないように、

国をあげた壮大なプロジェクトが動きはじめたのだ。

なんか、さいきん生活つれぇなー、そーだなぁ、

なんでかなー、わかんねぇーなー、

飯でも食って寝んべかなー、んだなー、

教育的モルヒネ効果である。教育的モルヒネを投与された人間は

おそらく寿命も短い。頭がきれると脳はボケないから

長生きしてしまうのだ。馬鹿と天才は早死にが多い。

早死にをみんながしてくれれば高齢化社会にも歯止めがかかって

一挙両得ではないか。

だから、文部科学省は厚生省と手をむすんで、

どんどん防腐剤やいろいろの薬のはいった食品をばらまいて、

死期をはやめる手伝いをしないと。

いや、計画は確実に進行している。