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禁煙

 このはなしはすでに30年前のできごとである。

 

 煙草をやめたのはいまから一五年くらい前になる。

ふたりの友人の影響が強かった。

ひとりは高校時代からの友人で、

かれが何気なくやめたのがきっかけだったとおもう。

かれとは、大学時代、ひと夏、いっしょに個人的に

合宿して免許を取ったりした気の置けない仲で、

おたがいに影響されあっていた。もうひとりは、

理科のM教員。かれとも仲はよかったほうだが、

かれのよくないところは、自分で煙草をもってこないこと。

いつもわたしの煙草をもってゆく。だいたい一日、

十本はもっていった。気のちいさいわたしはやめてくれともいえず、

やむなく、二日に一箱ずつかれに渡して、

これを吸え、ということにした。

つまり買ってやっていたわけだ。

と、Mは、ひとのたばこがうまいんだけどな、と不服そうであった。

 

 煙草をやめてわかったことは、

二本の指ではさむ最も軽量の物体であったということ、

そしてそれ以上によくわかったことは、

自分が解放されたということ。それは逆に言えば、

喫煙者はじぶんの意志で煙草をふかしているのと同時に

じつは煙草に支配されていたのだということだ。

でかける前に、まず財布、定期、そしてライターと

煙草を手さぐりでさがす、これが日常だったのに、

やめたところ、ふと、気づいたのだが、

ライターと煙草をさがさなくていいのである。

このすがすがしい開放感が玄関のドアを開けた瞬間、

いっきにおとずれる。気持ちいい。

 

車に特別につけていた灰皿をひょいと捨てたとき、

あのせつなに感じた勝利にも似た自由をわたしはわすれない。

煙草はやめるべきである。もし、やめられないなら、

ひとのいないところで吸ってくれ。

横浜商科大学は今年から全館禁煙になったという。

まわりの学生の健康、

いいや命をかんがえたのだから当然の結論かもしれないが、英断であった。 

 

 大学が禁煙にしたのに、高校はどうか、

まだ、生徒の補習する場所が喫煙場所になっている

不幸をどうかんがえればいいのか。

日大二校や松陰高校は、生徒の目につかないところに

喫煙場所をもうけている。

あたりまえのことだろう。

副流煙がいちばんあぶないことを教えていながら、

その副流煙のまっただなかに生徒を放置することはなかろう。

グリーンピースの会員がこっそり鯨のベーコン

食っていたら腹立つだろう。矛盾はいけませんよ。

 十五年前、煙草をやめたあのとき、

わたしはMさんに向かってこう言ってやったのだ。

「あなたのおかげで煙草がやめられたよ」

と、Mは言下にこういった。

「感謝しろよ」