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プルトップと反比例

 むかしは缶をあけるのにも一苦労で、

ゆびを切りそうになりながら

缶切りをきりきりやっていたものだが、

さいきんは、缶切りを使わなくなった。

プルトップという方法は文明をすこぶる

進歩させたのではないか。なにしろ、

缶切りという20世紀の文明の利器を排除させたのだから。

ところでコンビーフはどうなっているんだろうか、

いまだにねじまわしみたいなのをくるくるまわしているんだろうか。

 

 きのう、PTAの役員さんと昼食をとっていたところ、

ひとりのおかあさんが、わたし腎臓の石をとる

手術のときいっしょに盲腸をとったんですよ、

だから、お腹の横にながく傷があって、

なんて言うものだから、ふーん、じゃ、コンビーフ開けるみたいだね、って言ったら、

いやねー、食事中なんだから、とみんなから怒られてしまった。

 

 文明が進歩させてきたエネルギーは、

日常生活をより快適により便利にしようとする

せつなる気持ちによるところがおおきい。

缶切りはひどくあぶない行為だし、労力もいる。

ハイキングにひとつおおく道具を用意しなくてはならない。

が、プルトップだったら、ゆび一本さっと開けられてしまう。

けがもない。ところが、ぎゃくに、

ひどく便利になったと同時にひとは缶切りを使えなくなっている、

プルトップで生まれ育った子たちは、

缶切りができないんじゃないか、

すでに、小刀で鉛筆が削れないのと同じように。

つまり文明の便利さはひとを無能にしてゆくという反比例をうむ。

 

 受験界でも、各分野、読解や解放のテクニックが進み、

10年前とは隔世の感がある。

なるべく脳の負担を減らし、さっと解いてゆく。

マニュアル時代、受験界の攻略本時代だ。

 

受験生も問屋制手工業の勉強方法より、

マニュファクチュアのベルトコンベアに乗せられた

スマートな方法論を好む。また、そんな方法論の指導者こそ、

いまの世の救世主である。が、ひどく便利な解法は、

生徒の地道な思考回路を遮断させているということに

世間はあまり気がまわっていない。どんな遠回りでもよいのだが、

試行錯誤、いろいろ実地で経験し、経験則から判断、

そこから定理をさがしてゆくという、

どの学問分野でもなされてきたあたりまえの図式が

消滅していっているのだ。つまり、いい指導者は、

いい生徒をひとりずつおし殺しているという反比例が、

ここでもうまれているのだ。

すばらしい生徒を育成するのなら、勉

強もろくすっぽしないテキト―先生に習うのが

肝心だったのだ。