自由が丘から横浜へゆく。
あの東横線に乗っている時間のなんと長いこと。
「駅すぱあと」で調べればわかることなのだが、
いったい何分かかるのか。なんかもたもたしてるね、
一日のはんぶんくらいの労力をつかってしまうみたいで、
だいたい、日吉でふーと一息、綱島でへとへとになる。
まだ先があるぞ、もうすこしだ、と我慢しつつ妙蓮寺にたどり着いたら、
もういけない、ホームが地面と平行でない、
すこし斜めになってるではないか、
おまけに線路もすこし傾いていて、そればかりでなく、
まわりは坂ばかり、それも空に対してしっくりこない
座標軸で歪んでいる、つまり、だまし絵の世界に迷い込んだ
ピンクのウサギみたいになってしまうのだ、
ピンクのウサギというのは自分でもよくわからない表現だったけれど、
ともかく精神的苦痛がピークに達してしまうのだ。拷問だよ。
ようやくゆっくり電車が動き出す、
解放されるのだ、よかった、ああ白楽、
と思ったのもつかのま、なんで「白」ににんべんがないのだろ、
ハクラクは伯楽じゃないか、なんてまた、考えてしまう、
もしかすると、もともとは「伯楽」だったのだがいつのまにか
にんべんがとれてしまったのかも、
洗足が千束になったみたいに、いわゆる当て字なのか、
こんどは別方面での脳の負担がはじまった、
まいった、はやく動け、のろのろ、もう横浜だ、
そう自分に言いきかせていたら、東白楽、こんな駅もあったのか、
なんで白楽の白ににんべんがないんだろ、
また、考えちゃったじゃないか、もうやめてくれよ、
つぎは横浜だ、はやく横浜に。
反町、だめおしだね。うかつにも反町を忘れていたよ。
階段をいちだん踏みはずした感じ、
精神的にも肉体的にもぐったりして横浜に着く、
車掌のアナウンス「まもなく横浜、横浜です」。
そうだよ、この路線、ついぞいままでいちども言わなかった
「まもなく」という副詞、あのひとことがすべてを語っている、
「まもなく」など長距離列車の旅につかうことばである。
乗務員がじふんで長かったねって認めているようなものだ。
だから「まもなく」がつくと「ヨコハマ」という語感に
エキゾチックなひびきが加わるのだ。