雁という渡り鳥がいる。
シベリアから日本にやってきて、
春になるとまたシベリアにもどる。
なじみぶかい鳥だから、国定忠治のせりふにもあるし、
花札の八月もそうだし、大造じいさんと戦ったりもした。
ものの本で読んだことだが、
あの雁がシベリアから飛んでくるとき、
口に一本の枝をくわえて飛ぶのだそうだ。
長い旅程、雁だって途中休憩もする。
海の上でもとうぜん休みたくなるわけで、
雁が泳げるというはなしは聞いたことないから、
じつは、日本海でひと休みっていうときに、
その枝につかまって休むのだそうだ。
フローティングベストのようなものだ。
生活の知恵である。ま、たまには、
うっかりものがいてみんなといっしょに飛んできて、
さあ休もうというとき、枝を忘れていたことに気づき、
ぶくぶく海に沈むのもいるのだろう。
どこぞの社会でもおなじようなものだ。
日本にたどり着いた雁は、
その枝を浜に捨てて、ひと冬を越す。
ひと冬過ぎて、また春になるころ、
じぶんの持ってきた枝を拾ってシベリアに発ってゆく。
ちゃんとじぶんのがわかるらしい。
村人もそのへんの事情を了解しているから、
浜に放置された枝には手をつけず、
雁がまた持ち去るのをそのままにしておくという。
が、季節が訪れ、雁がまた枝を拾って飛び立つとき、
その浜には無数の枝が置き去りにされる。
置き去りにされた枝の数は国内で死んでいった雁の数を意味する。
だから村人は、その枝を拾い集め、
供養のために燃やして風呂をたく、
という言い伝えが東北地方にはまだ残っている。
そんな、悲哀にみちたはなしがあるので、
わたしは生徒に質問をしてみた。
雁がシベリアから飛来するとき口に一本の枝をくわえてくるんだが、
なぜかわかるか。
活気のあるクラスだから、けっこう発言する。
「平衡感覚を保つため」
ちがう、ちがう、サーカスじゃないんだから。
「敵を倒すため」
枝もてないだろ。
「餌をとるため」
どこに枝で餌とる鳥がいるんだよ。
わたしは、さすがに次の回答にはおどろいた。
「口さびしいから」
だいたい、いまどきの高校生は
あんぐりするような答えを言うもので、
がっかりしたりびっくりしたり、
もうすでにそれがわたしの日常となっている。
ヨモギ餅って知っているか。
「知ってますよ先生、
あれおいしいですよね。磯の香りがして」