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ブランド志向

 みんなといっしょ、という考え方は日本独特だ。

交通違反をして警察につかまったやつが、

なんでおれだけつかまえるんだよ、

みんなやっているじゃないの、

ほら、あそこでもやってるじゃんか、

とお巡りさんにくってかかる景色をみるのもざらである。

 

ねぇ、あれ買ってよ、みんなもっているし。

じゃ、だれがもっているんだ。

えーと、何々さんと何々さん。

なんだい、ふたりきりじゃないか。

みんなといっしょは、どうにも始末におえない。

 

これは、じつのところ、

日本人の原点が農耕民族であるというかなり

根深いところまでさかのぼらないと解決できない

問題なのである。農耕民族は、

集団で同じ時期に同じように稲作をし、

同じサイクルで生活してきた、

つまり、「飲食をともにしてきた」わけで、

そのDNAはいまもわれわれの潜在意識に

脈々と息づいている。言わなくてはわからないのか、

なんていうセリフはその端的な現れで、

欧米人なら、オー、イワナキャワカラナイヨ、

とくるところだ。議論はきらいだけどおしゃべり好きのお母さんも

農耕民族出身だ。

 

しかしながら、やさしい自然にはぐくまれて、

のんびりすごしてきた我われだが、

それでも、すくなからず、

自己顕示欲はあるのであって、

それでは、農耕民族的自己顕示欲は

どんなカタチで具現化されるかといえば、

たとえば、ブランド品を身につけること、

こんなところに表出する。みんなといっしょなんだけど、

ちょっと背伸び、これが、かなしいくらいの国民性なのである。

ようするに、日本人はブランドを享受はできても、

ブランドを創る民族にはなれないということなのである。

ヨーロッパ人にデザイナーは多いのだが、

日本人にすくないのはそのせいである。

狩猟民族は絶対的自我をもっているぶん、

この分野にはすこぶる有利なのである。

 

個人的能力主義を唱えるながれが世の中にあるが、

このへんの事情をよく理解、分析する、

つまり、ちょっと脳に負担をかければ、

学歴社会が日本からとりはずされない理由もよくわかるはずなのだが。

 

ぬきんでた人間より東京大学がだいじなのは、

菊川玲をみればすぐ了解することだ。