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1パーセント

これも昔のはなし。消費税が5パーセントのころ。 

コンビニで値切ったひとはまずいない。

買ってないものをレジで打ち込まれて、

代金を返してもらったとき、

消費税を払い戻さなかった女子バイトに頭来て、

ローソンの本社に文句の電話をしたことがあったが、

損はしても得をしたことは皆無である。

あのときは、ちくわ一本八十円を、

買ってもいないのに買ったことにされて、

八十四円返さなくてはならないところを八十円しか戻さなかっただけだから、

四円の損で済んだが、

ま、全国民がこのようにだまされたらたちまち

5億円くらいの損失であるわけだけれど。

 

 そもそも、あたりまえのはなしかもしれないが、

日本経済のしくみとして、

百円のものを九十九円では売ってくれないのだから、

四円どころではない、

一円でも価値がある。あるいは、

情報化社会において、コンピュータのインストールでも、

九十九パーセントのところでやめてしまえば、

そのアプリケーションはおのず作動しない。

その一パーセントに価値があるのだ。

と、わたしはけちなはなしをしようとしているのではなく、

この一パーセントの意味について格調高く論じようとしているのだ。

ただ、さいしょの枕の部分が下世話なものになってしまっただけだった。

 

 本題は、エジソンについてである。

発明の父、エジソンである。現代用語の基礎知識や知恵蔵には

載っていないから、現代用語ではないが、

あのエジソンである。有名なことば、

発明は一パーセントのひらめきと九十九パーセントの努力である。

 

 人口にカイシャしたこの名言は、

われわれに不断の努力の必要性を教えてくれている。

人生訓などにもひろく引用されている。

が、しかし、一パーセントの法則からしてみると、

一パーセントのひらめきのない人は、

人間としての価値がない、というようにも解釈できるのである。

 

 たしかに、二十一世紀は、独創性のある人物が

もとめられているわけで、そういったユニークな人材の

少なさは言わずもがなである。ぎゃくに、

命令に言いなりになる輩はうようよいて、

マニュアルどおりに働く人材も無尽蔵にいる。

なにしろ、そういう人種が優等生だと

学校教育で教え込まれた一億人がきびすを接して

並んでいるのだから。

レシピがあればカンペキに復元できる人物はいても、

レシピを作れる人間がほとんどみあたらないというのが、

いまの日本の現状、わが国の悲喜劇の現実である。

 スポーツ根性ものの大好きな農耕民族は、

だから巨人の星などをみて、

ウサギ跳びさえしていれば、

子どもは育つとおもいこんでいた時代を、

あるいは、砂浜を夕陽にむかって走れば青春だ

とおもわされていた時代を、いろいろ経験してきたのであるが、

その民族性に「九九パーセントの努力」

はすこぶる快適な標語となったのである。

が、これからは一パーセントでいいから、

ひらめきのある人材が頭角をあらわす

世にならなくてはならいのである。

 音楽のホシノ先生が、

 

 君の坊ちゃん、学校の成績悪いんだろ、

いいんですよ、悪くて、いまの世の中は、

ひとの言うことをすなおに聞く子より、

なんか変だなっておもいながら、じぶんの興味を示すものにだけ、

価値を求めていく人材を欲しているんだから、

君の息子さんは、とても二十一世紀的なんですよ。

すばらしいことですよ。

 

 と、わたしの子どもをほめてくれたんだが、

なんだかそのとき、わたしはとても複雑な気になり、

ほとんどうれしくなかった。

 

 それともホシノ先生の論が正しくて、

ひょっとすると、うちの子が、エ

ジソンみたいになるのか、いや、やっぱり、どうも疑わしい。

 

が、待てよ、そういえば、

小学校の書き初めで、

好きな言葉を書きなさいというときに、

あいつは「電気」と書いていた。