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学問的

 文学のテーマとなりうるのは、

愛という感覚と、時間という感覚の二つである。

愛という本来の日本語は存在していないから、

愛という概念は、源氏物語に代表される男女の肉体、

精神のいとなみ、と換言してもよい。

 

たとえば、奈良時代のこのいとなみは、

繁殖、として、本能的な屈折はなく、

じつに自然体で実地におよんでいたのである。

 

「こもよみこもよ」ではじまる万葉集の冒頭歌は、

天皇が若菜摘みを見学するときのものだが、

「菜摘ます児、家のらせ、名なのらせね」

そこの若菜を摘んでいるお嬢さん、家を教えなさい、

名前をおしえなさい、と続けて詠んでゆく。

つまり、この行事によって妻を選んだのである。

いわゆるナンパ、妻問婚なのだ。

では、なぜ、若菜摘みに妻探しをしなくてはならないかといえば、

私見だが、どうも、おしりの大きさが左右したのではないか、

とおもわれるのだ。若菜摘みでは、

ミレーの落ち穂拾いのような恰好にならざるを得ないだろう。

 

奈良時代の人にとっての繁殖行為は、

女性の美貌や知性や美声などといった側面よりも、

より本能的なものに左右されていたのだとおもう。

安産型をさがしたのである。

 

 セクハラもストーカーも意識下になかった時代は、

男女のいとなみは川の流れや山おろしに揺れるこずえのように、

ごく自然に、もっといえば、

ひどく牧歌的にくりひろげられてきたのである。

 

『狭衣物語』に源氏の大将が粥杖(かゆづえ、正月の行事である)を

持って屋敷中を歩き回るくだりがある。

この粥杖で、女性が男性を叩けば、

その男性の子どもが授かるといういわれがあったのだ。

「さあ、この粥杖でわたしを叩いてください、

そうしたらいい子が授かりますよ」

と部屋中を徘徊する。

まわりの女房たちは、いやですわねえ、

なんていいながら、けらけら笑っているのである。

この大将のセリフを翻訳すれば、

「ぼくは、種馬だよ、さあ、

きょうはぼくと一晩ずうっといましょうよ、

寝かせないぞ」とほとんど同意なのである。

ぼくとするものこの指とまれ、こんなことが、

一級貴族の屋敷の日常行為なのだから、のんきなものである。

 

 ところで、男子が元服をするのにも、

個人差、年齢差があって、なになに丸は一四歳、

なんとか宮は一六歳、とまちまちなのだ。

それは、なぜなのか、これも私見だが、

なんかの目安がなければ、元服の積極的根拠はないはずなので、

わたしは、生え揃えだとおもっている。

雀の子そこのけそこのけあそこの毛、

ご意見番のご老人なんかが、どれどれ、なになに丸よ、

ちょいとわしに見せてごらん、など言い、

袴をずるずるずらして、うん見事にそろったものじゃ、

ではそろそろ元服をいたすかのぉ、

なんて筋書きがあったんじゃないか、

とおもわれるのだ。だからこそ、

四,五年のタイムラグが元服にあるのも頷けるのだ。

元服の儀式は厳かなもので、

その「家」としての権威にも関わる重要なまつりごとであった。

ただし、この儀式にはかならず、

二,三歳年上の女性、つまりいまなら、

高校三年生くらいか、短大一年生くらいの女の子が随伴するのであった。

どこの古文書をひもといても、

この女性の役目については言及されていない。

ここは、ひとつあくまで学問的欲求により、

タイムマシンに乗って、元服を経験するしかない。

 

 文学のテーマとなりうる感覚のもうひとつ、時間についてはどうか。

この時間の感覚というものはすこぶるやっかいで、

扱いにくい。時の浄化作用とかよく言われているが、

たとえば、公金横領をしても何年か経つと不問にされて、

もしそんな事実を本人にもちだせば、ぎゃくに、

その件に関しては、すでに社会的制裁を受けているので、

いまさらそのはなしをもちだすとは何事ですか、

と鋭い眼光でにらみつけられてしまう、といった質のものとは違う。

 

 時間の感覚というのは、茫々たる時の感覚のことであり、

「国破れて山河あり」の世界である。公金横領したひとが、

その後、何年も反省しないで、

たとえば他人から徴収する交通費とかをごまかし続けて、

それがバレてからやっと返金したとかいう話とは違う。

 

 たいそう長い時間が経ったものだと、過去をふりかえって、

その悠久の時間にひたる感覚である。

 じつは、昔を偲ぶという感覚は現代人にとって

希薄な心的動作なのかもしれないが、

すくなくとも、古代人にとっては愛の感覚よりも

なじみぶかかったのだとおもわれる。

 

 松尾芭蕉の「夏草やつわものどもの夢の跡」など、

その突出した例と言える。だから、

『奥の細道』全体に底流するテーマが、

時の感覚だと言っても間違いではない。

「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」

と、彼がおのれのあゆんだ人生を走馬燈のように

フィードバックさせたとき、芭蕉の時間は過去に向かってひどい

勢いで遡上してゆく。そういうエネルギーこそが文学を

芸術の域にすくいあげていったという

事情をわれわれは了解しているのだ。

 

『平家物語』が「祇園精舎の鐘の声、盛者必衰の理をあらわす」と

語った冒頭箇所で、悠久の時間は、

聞き手に受容され、それを契機として、

平家の隆盛と没落という長い歴史が

くりひろげられてゆくのだろう。

「木曽殿の最期」にしても「西光切られ」にしても

「大原御幸」にしてもそこにはしずかに、

盛者必衰の静かな時間がゆっくりと流れているのであった。

 

『讃岐侍典日記(さぬきのすけのにっき)』という

藤原長子の日記がある。堀河帝に仕えた彼女が、

帝崩御のあと、その息子、鳥羽に再出仕するという

くだりが後半の内容なのだが、

まだ六歳だった鳥羽天皇を抱きながら、

宮中の絵を見せているうち、

堀河帝が壁に貼った笛の楽譜の跡を見つけ、

すうっと堀河帝をおもい出してしまう、

そんなくだりもある。日記は、読者がきづかないうちに

過去の一場面を語っていることに後から

気づくしかけとなっていて、

ここが、『讃岐侍典日記』の急所となっている。

つまり、時制の移動が、すこぶる自然におこなわれているのである。

 

私見だが、文章中、平気で時制を過去に

もどせるのは日本人の特技なのではないか。

すくなくとも、中国語は、時制をもどすことに不器用で、

時制通りにしか語れない。もし、過去の話を語りたいのなら、

「嘗(かつて)」「始」「初」「昔」などの副詞(接続詞)を

施さなくては、過去にもどせないのである。

だから、ぎゃくにこの時制移動が、

入試などに頻出されるのは、その、性質にちなんでのことであったのだが。

 

 日本の文章のおもしろさは、じつは、

時間という概念を過去から現代、

未来という自然の流れに乗せなくても共通理解として

認知しうるところにあるのではないだろうか。

この、性質に意欲的にとりくんでいるのは、

現代作家では丸谷才一氏である。

氏の『樹影譚』はその方面の代表作といってよいだろう。

この小説のクライマックスにおける時間の遡上の描写は、

氏の腕によりをかけた、

間然するところのないみごとなものになっているから、

第一回の、川端康成賞の受賞もうなづけよう。

 

前述したが、われわれは、過去や現代を自由に行き来する、

時の旅人になることのできる可能性を

じゅうぶん持ち合わせているのに、

どうも、現代人は、それを有効に活用していないのではないか、

わたしは、そうおもう。

 

 それよりも、犯した罪を平気で許す、

時の旅人となってはいないだろうか。