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アナキストの道

 海外旅行にはひさしく行っていない。

行ったとしてもエコノミーシートに座るしかない。

あのシートは苦痛だ。とくに隣に気取った

マダムに座られた日には輸入品の香水がきつくて、

香水のにおいの苦手のわたしには、

ただの罰ゲームが二〇時間くらいつづくことになるのだ。

もちろん狭い。たとえれば、白色レグフォンか、

そろばんのたまか、買ったばかりのピクルスの瓶詰めか、

ともかくぎゅうぎゅう詰めの機内に、

長時間うごけずにいて、おまけに、サービスだけはひどくいいから、

うごけずにいる姿、つまりマゾヒズムの緊縛状態のまま、

食事だけはせっせと与えられて、

肝臓はどんどんフォアグラになってしまうのである。

 

 だが、この苦痛の状態を、心頭滅却すれば火もまた涼し、

マインドコントロールで解消できるのだ。

 

 わたしは、テレビゲームをする子どもからそのワザを修得した。

(この事情に関しては、すでにわたしは

「オフになる子」で述べていることで重複してしまうが、

これはお許しいただきたい)子供がテレビゲームをしているとき、

よくみかける光景として、具合が悪くなるとどうするか、

とくにロールプレイングでは顕著だが、

味方が殺されそうになると、電源を切ってしまうのである。

ちょっと手前で登録してあるので、

電源そのものをすっかりオフにしてしまう方が

画面の中のわが分身は力を保っているし、

次の試合にも有利、だから子どもたちは、

調子が悪くなると、いちどオフにして、

景気のいい時点に戻してからゲームを再開させる。

さいきんの子供たちは、じぶんをオフにする

行為がじぶん自身をいちばん傷つけない

最良の方策であることを知っていて、

自己防衛本能が、スイッチをオフにするという

行為を認知し、機能している。だから、

人から怒られたとき、きゅうに子どもが

視線の定まらない、のれんに腕押し、

聞いているのかいないのかわからない状態になるのは

、じつは、この防衛本能の働きだったのである。

子供が主体的に身につけたのは、親のスキンシップではなく、

つまり、いちまいの画面というガラスからで

あったというアイロニーはいなめないにしても、

これをそっくり応用するのだ。体をオフにするのである。

なんにも考えず、何事にも批判せず、

怒らず、ただ、ぼーっとするのだ。

我がからだをアナーキーにするのだ。

無政府主義のからだには、倫理観も道徳意識も向上心も静止する。

ぼーっとするのにコツはいらない。

柳に雪折れなし、ただ、たんにぼーっとすればいいのだ。

この処世術は、飛行機の中だけにとどまらない。

世の中の不条理にも、会社の冷遇にも、

同僚の個人主義による豹変や裏切りにも、

へいきで公金横領するやつが隣に座っていることにも、

職場で痰つばをティッシュにくるむことにも、

金銭でつながったいやらしい人間関係にも、

トラブルが起きてもVIPの子どもだけは

不問にされることにも、すこぶる体臭が強いひとにも、

向上心のない教員がいることにも、

好き嫌いだけで人事異動がなされることにも、

ろどんの上司の、腰巾着が横柄な態度をとることにも、

おー、あー、脳梗塞のリハビリみたいにしか

話せないひとの連絡事項を聞くときにも、

すべてに、ぼーっとオフにすること、

そうすれば、痛くもかゆくもつまらなくも悲しくもいらだちも、ない。

 ようするに、この現代的アナキストたちの

最大の美点は必要悪、たんなる悪、しがらみからの解放なのであった。

 海外研修、サンフランシスコからの帰途、

わたしは、からだをオフにさせながら、

18時間の缶詰、養鶏場を強いられていた。

機内では二本目の映画が終わろうとしていた。

と、となりにいたD先生がめずらしく

気の利いたことをおっしゃった。

だじゃれの王様は、わたしをちらっと見て、こう行った。

 出る?