昔の話である
PTAのバレーボールに出て一年になる。
メンバーはすべてお母さん、つまり男はわたしひとりきりだ。
酒好きが三人いて、この三人ともビールしか飲まないのだが、
ジョッキで三、四杯飲んでもちっとも変わらないので、まわりがついてゆけない。
日曜日の夜、実家のラーメン屋は、
日曜日だけはわたしが店に出ているのだが、
定数に達した夜の九時に閉め、
わたしは仕事のおわったひととき、
となりのスナックのカウンターで、
ひとりバーボンをちびちびやって過ごしていた。
つまみは、お気に入りのシーザーサラダである。
と、入り口に何人かの人影がした。その人影は、
どうも店の中を物色しているらしい。
頭が左右に動いている。わたしが、その影をちらりと見る、
と、どーんとドアが開けられた。ドアにある鈴が威勢よく鳴った。
「会長、みーつけたぁ」
「いた、いた」
スワットが銀行強盗を取り押さえるような勢いで、
ずかずかと三人組が押し寄せてきたのだ。
わたしは呆然とした。なにが起きたのだろう。
が、すぐに、その三人はバレー部の酒豪トリオだというとがわかった。
なんで、こんなところに来るんだろう。
と、そのうちのひとり恭子が、わたしに蹴りの恰好をしながら、
「バッカヤロォー、なんで店閉めちゃうんだよぉ」
あとの二人も、すでにカウンターに座りながら、
「そーよ、せっかく食べに来たのにぃ」
「わたし、炒めそばー」
おい、待てよ、おれは、いましずかにバーボン飲んでいるんだぞ、
それに、なんでスナックのカウンターでうちの店の注文するんだよ、
帰れ、なんて言うヒマがあるわけない。
「せっかくさ、わたしたちが来たのにさ、なんで閉めちゃうのよ」
「そーよ、そーよ」
「あ。だったら。店開けなくてもいいからさ、ここのお金、会長に払ってもらおう」
「うん、そうしましょう」
と、言いながら、中ジョッキをすでに頼んでいやがる。ひどい。
このスナックは値段設定が廉価で、気軽に飲めるから、
わたしも店の帰りにはちょくちょく寄っている。
お通しが二百円、小生ビールが三百円、バーボンが六百円、
サラダが五百円、とこんな感じでいつも注文して、
ちょっとほろ酔い、気持ちよくなって家に帰るというのが日課なのだ。
が、わたしのしずかな日常は、この三人の突撃部隊により、
非日常の時間と空間に変えられ、これはどんなに抵抗しても、
わたしの時間と空間は取り戻せないとおもい、
しぶしぶ席を立ち、となりの店に火をつけにゆこうした。
「あ、会長、作ってくれるの」
「やったー」
「愛してるー」
こういうのを専門的に「酔っぱらい」というのである。
もういちど、元栓をひねり釜に火を入れてスナックに戻って来たら、
恭子のやつ、シーザーサラダ、食っていやがる。
この秘密部隊は、隊長がしのちゃん。巨体の色白だが、
さいきん減量したとかで、すこし顔がほっそりした。
痩せたじゃん、なんて言うと、え、ほんとー、とか言って、
目をぱちくりさせて喜ぶ。でも、一般的にはまだ「でぶ」の範疇である。
ところで、太ったやつが家から出たくなくなる、
という病気があるらしい、これを「でぶ症」という。
なんて、しのちゃんに言ったら、きっとわたしははり倒されるだろう。
もうひとりが、カンノ。名前が菅野だからカンノと言われている。
引っ越して平塚にいるのに、たまにこうして出没する。
これも、エキスパンダーでこさえたような肉体をもっている。
そして恭子。前PTA会長夫人である。彼女はPTA選考委員長でもあり、
わたしを会長に推した人物だ。臨時総会で、わたしを紹介するとき、こともあろうに、
「会長の西方さんです」
と言ってしまって、会場を爆笑のうずにした張本人である。
そんな中あいさつをするのだから、これもお決まりだから、
「みなさん、こんにちは、フタカタです。
たまに西方とも言われておりますが」とちゃんとスピーチしたのは言うまでもない。
この、恭子ちゃんの旦那、前PTA会長、
若井大造は浮気屋で、家族旅行のホテルに浮気相手の
二十歳後半の娘が殴り込みにきて、夫婦危機におちいるなど、
波瀾万丈の生活を送っているわりに、
恭子が旦那ひとすじ、というのが腑に落ちない。
「おい、目には目を、というだろが、どうだい手伝うぜ」
なんて、わたしが紳士的に誘っても、
「だめ、わたし大ちゃん一本だもん」
と言下に断る。この一本が、
抽象的な意味なのか、とても具体性を帯びているのか、
そのへんはよくわからないが、どうもぞっこんらしい。
このあと、恭子は、わたしの髪の毛、
これがすこぶる柔らかいのだ、に気づいて、
「あ、子どもみたい、気持ちいい」とか
言ってぐちゃぐちゃにしやがったのだ。
で、けっきょく、ラーメン二杯と炒めそばを作らされて、
おまけに減量女とエキスパンダーと夫婦危機の
飲み代一万円まで払わされ、わたしは花山大吉の焼津の半次のように、
「えへー、旦那、けつの毛まで抜かれちまったぜ」
といった具合でとぼとぼ帰宅の途に着いたのだ。