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照れ隠し

 照れ隠し、ということばがある。

わたしは英語に堪能でないので

専門のひとに尋ねてみたいのだが、

「照れ隠し」という英語はないんじゃないかとおもうのだ。

わたしが知っているのは「男泣き」である。

あれは英単語には存在しないらしい。

つまり、男泣きをするという行為が英米圏では

認知されていないのだ。だからリチャードギアの

「愛と青春の旅立ち」であの二枚目が涙を流していた

シーンは、ネイティブにはぎゃくに

新鮮に映っていたのかも知れない。

菅原道真などはじぶんの漢詩の中で

しょっちゅうエンエン泣いていて、

日本においては、涙には呪術的な意味合いまでが

含まれているという説もあるのだが、

ここにも東洋西洋の文化の違いがかいま見られるのである。

 そうおもうと照れ隠しという行為が、

どうも日本的な所作におもわれてしかたない。

電車に乗りそこなったひとたちのあのどうにもやるせない表情。

いや、べつにわたしはこの電車に乗るつもりは

あるにはあったかもしれないが、

乗る必要もなかったんですよ、

ただ、わたしの意志としてはこれに乗ろうとしてたんですがね、

車掌さんがバチッとドア閉めてしまったんで、

その意志は、達成されないまま棚上げに

なってしまったんです。それに、

すこーし急いでいたふりが乗客のみなさんに

見られてしまいましたか。いやみっともないな、

赤面のいたりです。なんていうもやもやした羞恥心が、

けっきょく照れ隠し、うっすらとした笑みとなり表出されるのである。

このうっすら加減が欧米人に気味悪がられているのは、

やっぱり農耕民族が醸造させてきた伝統なのだからであろう。

この感情の表出のうすい、のっぺりとした能面のような

笑い方を欧米人はブッダスマイルと呼んでいる。

仏に彫られている笑い方と共通するところがあるので

そう呼んでいるそうだ。だいたい狩猟民族は、

自己主張が強く、あいまいを嫌うからそんなネームが

つけられたのだ。ただ、われわれだって、

ブッダスマイルに慣れ親しんでいるといっても、

ひとをばかにしたようなうすら笑いは頭来るし、

もっと頭に来るのはいっしょに飲んでいるとき、

前に座っているやつがこっそりこっちを見ながら

耳打ちしていることだ。いるんだよ、

こういうやつ。ま、それは置いておいて。

 では、なぜこれほどまでによく電車に乗り遅れるひとを

見かけてしまうのだろうか、という問題である。

乗り遅れるということは、つまりは、急いでいるからにほかならい。

とにかく、日本人は忙しく動き回る。

エスカレーターも自動で昇降させてくれているから

意味があるのに、なんでその上を歩き始めるんだ。

さいきんは、エスカレーターを歩くひとが右側、

立ち止まっているひとが左側と、

社会が認知してしまったようである。

自由が丘で急行が来るとわざわざ乗り換えるひと、

三分待てばつぎの電車がくるのに飛び乗るひと。

これがわれわれのDNAなんだろう。

だが、急いでいなければ、乗りそこなうことはないのだ。

急いでいるからこそ結果論的に乗り遅れたのだ。

かかとのない靴ならかかとを踏みつぶすことはないし、

第一ボタンのない制服なら第一ボタンをはずすことはない、

貧乏なら盗まれるものがない、とおんなじ理屈で、

急がないなら、乗り遅れは永久存在しなくなるのである。

 おまけに、駅の構内の造り方にも問題があった。

階段の段数がむやみに多いのだ。段差が少なく、

数が多い。これが駅の階段だ。わたしはこのあいだ

数えたら四十段もあった。

二十段目ですこし広くなった

踊り場のような場所があり、

また二十段ある。ふつうの家の造りだと十三階段だから、

地下に降りるだけで、段数でいえばちょうど

地下三階までいっきに駆け下りることになるのだ。

わたしにも経験があるが、

構内にステンレスの車両が見えているから、

あ、乗り遅れる、とおもって急いで階段を下りる。

が、なかなか降りられない。足を小刻みにばたばたしているだけで、

ちっとも下にゆかない、おそ松くんが逃げてゆくような

恰好しかしていないのだ。と、すでに無機質の

銀色の電車は無機質に出発してしまっているのだった。

気持ちだけがあせって体が言うことをきかない

もどかしさは駅でよく味わうことである。

と、はたとおもった。なんだ、

おれも駅では走ってるんじゃないか。

そして、乗り遅れれば

ブッダスマイルになっているのである。